2014年1月31日金曜日

コマッタ困った・・・・

 地味に幸先の良いスタートを切ったかな、と思った今年ですが、あれれ、月末にかけて運気下降気味(?)

 これがなければ実験できない、という、大変便利な機器があるのですが、どうも、年末からこれの調子が悪かった。
 これは修理しかない、と、修理に出してみたところ、先方の反応悪し。
 この機器は、米国に製造元があって、輸入しているのですが、そもそもの製造元が大変小さな会社なので、当然日本の中に支社などあるわけもなく。
 国内の輸入元会社に送り返しても、結局何が悪いのかわからずに、私たちの大切な相棒は、製造元の米国に送り返されてドック入り(?)となりました。1か月は入院だそうです。

 こういう、製造元の技術者が日本国内にいてくれない機器って、ほんと、困ります。
 動いている時に便利だった分、不満がふつふつと・・・・・。
 結局、すったもんだの末、さらに新品をおろして代替機として出していただくことで一時的解決を見ました。(……この時のすったもんだの交渉は、米国にいた時の家主さんだの車屋さんだのとの交渉を思い出すような、なかなか力ずくのものでした。)

 それにしても。
 日本って、技術立国のはずが、このような生命科学の研究機器についてはなぜ常に後れを取るのでしょう。こういうもの、日本の会社が頑張って作ってくれたら、絶対売れるのになぁ!儲かるだろうになあ!!といつもおもいます。
 プラスチック消耗品まで、他国の製品をわざわざ輸入して、すべての機器・消耗品に、米国にいた時の2割5分ましは払っている。こういうことを、例えば国内の製薬会社がやっていたら、そりゃあ海外との新薬開発競争には勝てないよなぁ・・・・・・。

 例えば電気泳動に必要な器具とか、プラスチック消耗品も、一部は日本の会社が製造しているものがあるのですが、米国にいったときに、これらがものすごく懐かしかったのです。タンパク質用の電気泳動槽、液漏れしない。チューブはぴちっと閉まるし。ピペットマンのチップ、ホント液切れいいし。
 日本にいたら当たり前の、「きちっと閉まる・締まる、水漏れしない」は、米国ではかなり珍重される現象なのです。隙間風は当たり前だし、私が入居したすべてのアパートで、台所シンクの下のP字管、必ず漏れました。これ、ほんと。

 日本の貿易赤字が黒字が…という話が出ると、必ず出てくる技術立国、とか技術革新、とかいう言葉。わざわざ新しくがんばらなくても、あるものをうまくマーケティングするだけで違うんじゃないかなぁ、などと、妙な方向に頭が行ってしまった一週間でした。

2014年1月24日金曜日

Bananaバナシ Part II

 以前、論文の査読の話をいたしました。

 論文を投稿すると、その論文の内容が学術論文として発表されるにふさわしいものかどうかを審査するために、『査読』というステップが入ります。査読は、論文を掲載する学術雑誌の編集部が、その分野に詳しいと思われる外部研究者に依頼することで始まるのですが、査読に対する謝礼はなし。つまり、学術雑誌の論文審査は、まるきりのボランティアによって営まれている、という話。

 これも結構驚きだと思うのですが、先日友人と話していて出てきた話題。
 『学術雑誌に論文が掲載されると、謝礼はどのぐらい支払われるの?』

 ある意味、もっともな質問です。だって、研究者は『論文を発表するために』すべての仕事・・・・少なくとも、すべての研究関連業務・・・・をしているのだから。すべての社会人は、給料もらうために仕事してるんだよね??

 でも、答えはまったくの逆。
 学術雑誌に論文が掲載されることに決まったら、投稿者が『掲載料』を払うんです。
 雑誌にもよりますが、大体1000~3000米ドルぐらいが相場かな?

 学術雑誌が継続していくためには、当然ですが、収入と支出が釣り合わなければなりません。
 フツーの雑誌であれば、収入は、雑誌の売り上げと広告料。

 学術雑誌って、実物を見たことがある人ならばわかると思いますが、地味。広告、少なし。しかも、最近は雑誌そのものを購入しなくても電子版をダウンロードすることで入手可能、ということは、広告が載っていても見る機会は少ない。当然、広告主としては、高いお金を払って広告を出す気にはなりませんね。

 そもそも、研究者が学術雑誌に論文を発表するのは、極言すれば『自分がそうしたいから、そうする必要があるから』。普通の雑誌は、購入者の必要にターゲットを絞って作られますが、学術雑誌は、購入者(これも研究者)の必要と同じぐらい、いや、それよりもむしろ書き手側の必要性が高いと言っても過言ではない。というわけで、雑誌社が収入源を求めるとすれば・・・・・・普通の雑誌と同じ発想では物事は運ばない。学術雑誌の運営コストは、購入側よりもなんと執筆・発表側に回ってくるということに相成っているわけです。

 論文を書く、というのは、当然私もやってまいりました。書いた論文が査読を通り、掲載、となったらお祝い気分全開、でおしまい。
 で、幾度もそういう経験をして、めでたくPrincipal Investigatorとなって、あらためて気が付いた。

♪ ♪ ♪ 論文は、出せば出すほどお金がかかるのですね ♪ ♪ ♪

 今、これまでの仕事のあれとこれをまとめて書き上げるという、研究者としては望ましい段階に来ておりますが、自分が投稿したい雑誌の『掲載料』を調べて、びっくり。
 …今、書こうといる論文たちが、望みどおりの雑誌各紙に掲載されたら、現在の円ドルレートで100マンエン近くが掲載料に飛んでいく……。

 ところで、この、掲載料。
 私が学生の時には、査読がとおったら、最終版の本文と図表を雑誌の規程に従って厳密に完成させたものを雑誌社に送ると、プロがページごとを写真撮影するような手数を踏んで版組にくんでくれることで、初めて最終稿が完成。校正をうけて、OKを出したら印刷・製本されて手元に届く、というものでした。
 でも、最近は、Desktop publishing技術が進歩して、すべてがコンピューター上でできるように。工程時間もぐんと短くなったのは、かかる手数も技術も少なくなったから……なのに、掲載料は下がらないよ??

 このあたりには、いろいろ面白い話があるのですが、それにしても、

 大学における研究者の生活環とは、『研究を始めるためには、研究費が必要。なのでアタマ絞って申請書書いて、研究費を獲得して、研究スタート。爪に火をともすみたいに研究を進め、結果が出たのでないので一喜一憂。さらに頭を絞って論文をまとめ、査読に回ってけなされるのにもめげずに、実験し直し書き直し、めでたく論文受理。(で、見つけた新しいネタで新しい研究を・・)』・・・・と、以前書きました。

 ここで、論文受理後に掲載料が必要・・・・・となると、

 (いってみれば、)論文を学術雑誌に掲載=掲載料をはらうことを目標に、研究をするために、研究費をとるために、1年数か月前のワタクシは申請書を書いていたわけか・・・・・

 自分のしていることながら、奇妙な感慨に浸ってしまいます。
 今になってみると、掲載料の請求書を見るたびにupsetしていた元ボスの気持ちがじつによくわかる(笑)。

 しかたない。早いところ論文通そう、円安が進まないうちに!
 
 

 

2014年1月17日金曜日

Divide and Conquor

 『分割したのち統治せよ』、と、歴史の時間に倣ったような気がします・・・・・たぶん、もともとラテン語だったものでしょうね。

 紀元前から植民地時代を通しての、為政者共通ストラテジー、冷血・・・・と思っていたのですが、

 Divide and Conquor=『困難は分割せよ』

 といわれると、おや、本質的には同意でも、気分が違ってくる。

 そう、むずかしいことは、小さな課題に分割して、それをひとつひとつこなしていけばよいんですよね。誰でもやっていることだし、今はやりの仕事術モノでよく見る表現だったりします。

 Divide and Conquorは論文を書くときにいつも思い出す表現です。考えてみれば、大学院卒業してすでに15年以上がたつのに、いまだに私にとっての論文書きは『困難』なわけだ。
 ま、最初のころは、いったいどこから手を付けていいかわからないほどの困難、だったのが、最近は、分割の仕方を頭をひねって考える困難、程度に落ち着いてきました。

 考えてみれば、論文を書くのは、読んでもらいたいから。ということは、当然読みやすく書かなければならない。面白いことに、読みやすくかこう、と思って構成を考えると、書きやすくなるのに気が付いたら、ちょっと分割方法の決め方が楽になったかな・・・・。

 文章構成とはべつに、ここ10年ぐらいで決定的に楽になったのは、『英語で書く』ことですね。昔は辞書とシソーラスを引き引き書いていたのが、いまではウェブ版英辞郎とシソーラス。前置詞の使い方で迷ったら、文章の一部分をGoogleに入力して検索して、沢山出てくる方が正しい表現、とか。

 などとぶつぶつ言っているのは、そろそろ仕事の一部分をまとめようと書き物を始めているから。亀の歩みなれど少しずつ形が出来上がっていくのは、やっぱりこの仕事の醍醐味だったりします。
 
 

2014年1月10日金曜日

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
今年は、私たちのグループとしても、研究所としても、何かと盛りだくさんの1年になりそうです。今後ともどうぞよろしくお願いします。

新年早々、私たちは大変地味に、細胞の数を数える方法の条件設定をしています。

 むかしむかし、私は哺乳類培養細胞を用いて研究をしていました。こういう細胞の場合には、まずはたくさんの細胞を遠心分離で集めてきて、それを小さい体積の培養液に懸濁し、1ミリリットルの培養液にいくつの細胞が入っているかを血球計算盤なるもので計数します。
 血球計算盤は、0.1マイクロリットルきっかりの体積に当たるところに碁盤の目が引いてあり、この体積の中にある細胞の数をカウントすれば、どのぐらいの細胞が懸濁されているかわかるというもの。この時、計数を正確に行うには、0.1マイクロリットルに最低100個の細胞があるのが望ましい、ということになっています。つまり、正確に計数しようと思うと、1ミリリットルに100万個の細胞が入っていればいい。
 実際に実験で使う時には、もっと希釈して、例えば1ミリリットル当たり1万個ぐらいで使うことが多かった。
 
 この経験から、単細胞藻類のヘテロシグマを使って実験しよう!と思って私が一番最初に買い揃えたのが、この、血球計算盤。これさえあれば、計数なんて何の問題もないはず・・・・・。

ところが。
ヘテロシグマを遠心分離で集めようとすると、ヘテロシグマの外被の糖脂質の性質からか、べたべたとくっついてしまいます。一度くっついた細胞は塊のまま懸濁できない。これでは実験には使えない。
ヘテロシグマを普通に培養すると、大体1ミリリットルに数十万個ぐらい。となると、上の方法では正確に計数できないことになります。

コマッタところで見つけたのが、市販の自動細胞カウンター。プラスチックでできた使い捨ての『カセット』をセットして、そこに少量の培養液をスポットすると、含まれている細胞の数を数えてくれるのです。1ミリリットル千個から正確にカウントで来て、それぞれの細胞の体積まではかってくれる。
 素晴らしい!!
・・・・・しかし、この機械、手のひらに乗る大きさながら30万円しました。しかも、使い捨てカセットは、1回使うたびに160円。細胞を数えるのにお金がかかるなんて!!
 去年初頭から使い始めたのですが、去年1年間で、カウンターのカセット代=細胞を数えるために使ったおカネは、なんと、10万円以上。低予算ラボには、ううむ、ちとくるしい。

 他にも広く使われている方法があるのですが、試してみたらなんと、これは大変信頼性が低い。なんとか、安く手早く正確に、細胞を数える方法はないものか?と試行錯誤した1週間でした。
 Hさんと、ああでもない、こうでもないといろいろためし、実用に耐える方法に、1週間で一応行き当ったようです。
 大変地味ではあれど、結構幸先の良い一年のスタートかもしれません。