2013年8月30日金曜日

季節は廻る

 残暑はまだまだ厳しいですが、日本の非営利研究にたずさわる研究者にとっては、それどころではない季節がやってまいりました。

 科研費、つまり科学研究費補助金申請の季節です。

 私は、去年かいた2本はどちらもいただけなかったので、今年はとりたいところです。とはいえ、科研費だけだと心配なので、並行して私立財団の助成金にも応募しよう。

 去年に比べてネタが増えた感があり、どれをどれに出そうかああだこうだと頭を悩ませて、またもや書き続ける毎日です。

 科研費、とは、国から出る研究費の中では一番基礎研究をサポートしてくれることになっているものなのですが、倍率が大体3~5倍。とってくるひとは、安定してとってくるところを見ると、ちゃんと一定のコツがあるはず。・・・・・・なのですが、残念ながら私は、まだその勘所がわかっていない(長年書いている人でも、わかっている人は大変少ないという話もありますが)。
 チャンスは年に一回。
 というわけで、周囲にアドバイスを求めながら、なるべく多く書くことに。
 
 出来るだけのことをしたって、100%研究費を獲ってくるひとなんて、ま、いません。自分としては毎回最善のものを書き上げて、送ったら次の応募先を探し、その合間に、反省点・改善点を見つけ、お断りの返事が来たらさっさと忘れ、を続けるしかないし、どれだけ空振ろうが結果として必要な研究費が確保できればそれでOKなわけで。

 ・・・・・・これ、研究費だけではなくて、他にもいろいろ、たとえば就職活動にだってあてはまりますね。

 というわけで、着任2年がたった現在の座右の銘は「(下手の)鉄砲数打ちゃあたる」「果報は寝て待て」。
 最低限の実験をしながらコンピューターに向かった今週でした。

 

2013年8月23日金曜日

残暑・・・・・

 日本列島、どこもかしこも残暑にあえいでいるとはいえ、連日のこの暑さは、やはり堪えます。 西日本は、9月終りまで夏の暑さが続きますので、この時点での暑さは、「残暑」というよりは、夏後半突入、まだまだ先は長い、という感じでしょうか。
 楽しみなお盆休みは終わってしまい、しかし、暑さだけは残っているという、疲弊した気分になりがちなこの頃です。

 ウェブでチェックすると、倉敷の実測気温は常に隣接する岡山市より低いのです。広島よりも、やっぱり涼しい。倉敷に住めて、ラッキー。と信じておりました・・・・去年までは。

 実は、これにはウラがある。
 倉敷市の気温・降水量などの公式観測点である『アメダス』は、当研究所にあるんです。(アメダスって、実は、 Automated Meteorological Data Acquisition Systemの略でAMeDASなんですね。気象庁が管理する無人観測施設である「地域気象観測システム」の通称なのだそうです。・・・・・・・私は雨の量を計るからアメダス?と思っていたのですが・・・・・・。)

 で、倉敷市のアメダスは、当研究所の圃場のど真ん中。
 周りは、水をしっかり含んだ水田なので、日中は、水分の蒸発にともなって、気化熱が奪われる。・・・・・・ということは、例えばコンクリートだのアスファルトの上だのに較べれば、気温が常に低く出るのです。
 というわけで、倉敷市の公式気温は、じつは圃場ど真ん中のMicro climate=局地気候に過ぎないんです。
 「暑いなぁ、暑いけど、えへっ、それでも倉敷は岡山よりも広島よりも涼しいんだし」と、発表される日中最高気温を心の支えに夏を乗り切ろうとしていた私にとっては、これは着任2年目にして知るショック!!な新事実でした。

 敷地の端に植えられたたくさんのひまわりが元気に咲き乱れています。まだまだ暑い日が続く・・・となかばあきらめ気分だったのですが、実験室の窓から圃場を見下ろすと、稲穂が出はじめてる!!暑くても、季節は確実に進んでるんですね。植物のほうがよく知っている・・・。


 
 あと1ヶ月ちょっと、負けずに元気で過ごしましょう。

2013年8月16日金曜日

それってつまり・・・・・(これも一種の出羽の守バナシ)

 今回は 自己責任  ということばについて。

 今の30代前半、あるいは20代より若い方々にとっては既存の日本語として認識されて来たかもしれませんが、この言葉、17-20年程度前に初めてお目見えした『造語』なのです。いまとなっては大昔となった『ペイオフ解禁』『金融商品の銀行店頭取扱開始』などなど、金融、ひいては経済界を大幅に自由化しようという政治の動きに伴って生じた言葉と記憶しています。

 ほとんどの場合、自由な選択の結果に対する責任に伴う重圧を表現するために使われますよね。自己責任、ときいて、「責任に伴う緊張感・重圧感」と「風通しがよくて、すっきりさわやか」のどちらがぴったり来ますか、といわれて・・・・・・後者を選ぶ人は何割になるでしょうか。

 8月に入ってから、「大学で研究するってどういうことか?」という話題で、高校生・学生さん世代の方々とお話をする機会が多く、で、この言葉を聞いたり使ったり、の機会が多かったのです。
 前にも書いたのですが、企業でも、公的研究機関でもなく、「大学で」研究をする、という生き方を選ぶっていうのは、私の中では、せんじ詰めればカネと安定よりも自由を優先する、ということです。
大学にはテーマ選択の自由がある(はず)。(そういう状況を自分で慎重に選び続ければ)、大学や学部の大枠からはずれないかぎり、学術的に意味が見出せるものであり、しかもその価値を他者に説明して納得してもらうことができれば、自分の興味をとことん追求できる。お給料はといえば、地味に堅実に生きていくぐらいのものはいただける。

 そのかわり、結果を出さなければなりません。
 自分で自由に決定し行動する代わりに成果が問われる。
 とくに、任期付ポジションで失敗したら、行き場所を失って自由落下というオマケつき。これぞ『自己責任』。

 まだ米国にいたころ、この『自己責任』ということばを英語に直したらどうなるのか、と考えたことがあります。
 自分で決定。自分で行動。両方ともその自由が保障されている。結果いかんは、当然本人に帰ってくる。
 とはいえ、当時は国民皆保険がなかったうえに、年金は401k=自分で投資して貯蓄する、となれば老後の資金は、つまり自分の投資能力にかかってくるというスタイルが一般的な米国では、自分で決めた結果が自分に帰ってくるって、あんまりにも当たり前で造語の必要もなさそう。

 自己責任、に英語を当てたら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Independence?

 考えてみれば、自分で決めて行動する自由が保障されているって、『独立』以外の何物でもない。で、独立していたら結果が自分に帰ってくるのは当たり前なのであって。
 逆に、自分で決められない、行動も制約がある、しかし責任は悪くすると追及されたりしちゃう、という生き方に較べれば、よほど風通しがよく、すっきりさわやか、ではなかろうか。

 先週の、「冒険野郎たちとの会合」の中で、「大学で独立ポジションを取って研究するっていうことは、自分ですべてを決められるっていうことで、それはすなわち、30代初めなんていうカタギの社会では考えられないような年齢で、自分のしたいことをしたいように追及して、結果次第では世界を変えられちゃうってことだ」と言った人がいました。

 私は、自分が世界を変えられるという発想はとても浮かんでこなかったのですが、しかし、自分のしたいことを自分がしたいように追及して、その結果を『直接』=上司だの会社・役所だのの決済をまつことなく、私自身が直に世に問う(国内外の研究者集団に問う、ということですが)ことができる、しくじったら、他の人に迷惑かけるわけじゃなし、自分にかかってくるだけ。そして、とーぜん、しくじらないという選択肢がちゃーんとあるわけで。

 あら、なんぞ、すっきりさわやかな気がしてきたりして・・・・・。
 
 
 

 
 
 

 
 

2013年8月9日金曜日

交流週?

 暑い日が続く倉敷ですが、先週は、当研究所の高校生講座が開催されました。
 地元の高校に通う、科学に興味を持っている生徒さんたちに来所してもらって、一日科学実験に触れてもらおうという企画です。
 総勢24名が参加してくださいましたが、そのうち3名の生徒さんたちは私たちのグループでタンパク質の電気泳動にトライしました。

 3名の高校生に2名(Hさんと私)のインストラクターというのは、いろいろおしゃべりしながら実験するにはちょうどいい雰囲気で、私たちも楽しく一日を過ごしました。
 とはいえ、最近の高校生、忙しいんですね。夏休みも、実質2週間程度しかない、ときいて、自分の高校の頃(42日の夏休み+補習期間だか予備期間などと称して1週間以上プレ夏休みの休みがあったような気がします・・・・・)隔世の感がありました。

 そして、今週は岡山大学にて、大学院生修士1年向けに、「大学で研究する、というキャリアについて」の座談会形式?というのか、全部で5名の講師が学生さん達の前で自由におしゃべりして、随時質問にお答えする、というスタイルの授業に呼んでいただき、参加してまいりしました。

 先週の高校生講座も、その目的は、「研究する人生ってどんな?」ということを少しでも高校生のみなさんに知ってもらおうというものなわけですが、奇しくも2週間続けて、このテーマについておしゃべりする機会に巡り合ったわけです。

  私たちにとっては、すでに当たり前になってしまっていることも、これからキャリアを選んでいこうという修士1年の学生さんたちには情報としていきわたっていないことも多いことがわかり、私たちにとっても勉強になる機会でした。

 ところで、私以外の4名の講師は、すべて、岡山大学異分野融合先端研究コア出身の方々。非常に優秀なだけでなく『冒険野郎』体質の持ち主たちの集まりで、お話を伺うといろいろと新鮮。楽しく刺激を受けて帰ってまいりました。
 
 

2013年8月2日金曜日

出羽守バナシ その3: Interview@米国  ≠ 面接@日本 

 今回は、米国の大学で教員ポストを得るための選考、とくに面接についてです。書き始めたら、削っても削っても長くなってしまいました。

 なぜ私が13年近くも米国にいて、いきなり日本に帰ってくることになったかと言えば、米国ではテニュアトラックの大学教員のポストを得ることができなかったけれど、日本ではたまたま得ることができたから、です。最終的に得ることはできなかったけれど、中途半端に最終選考までは残ってしまったことが数度ながらあり、となると、もう一度挑戦すれば次は通っちゃったりして、なんて思っているうちに滞米が長引いてしまった、というあたりが真相です。
 専門誌に出てきた求人広告を見て、書類を整えて提出すると応募先でああだこうだと一次選考され、このうちから4~5名が選ばれて、とここまでは、たぶん万国共通。で、この数名がInterviewによばれます。
 
 で、面接。先日書類の山から出てきた、私自身が経験したある大学での面接の日程は、以下の通りです。

1日目
 4pm                                近くの空港に到着、大学まで移動
 6pm-                                夕食  選考委員と
2日目
 7am                                朝食 選考委員と他学部教官と
 8:30am                              学群長と面談
 9:15am                              付属研究施設長と面談
 10-10:30am                      セミナーセッティングの確認、休憩
 11 am                               セミナー45分発表15分質疑応答
 0-1pm                            ランチ 大学職員(教官以外)と
 1-1:45pm                       大学院生・学部生たちとミーティング
 2pm ビルを移動して        教官Aとミーティング
                  以降、教官3名とそれぞれ30分ずつミーティング
 4:30-5:30pm                     他キャンパスへ車で移動、ホテルにチェックイン
 6:30pm-9pm                     夕食 他キャンパスの教官と
3日目
 7am                                   朝食 選考委員と他学部教官と
 9:30am-                             教育部長と面談
 10:30 am-                          教官Eと面談
                          以降教官2名と30分ずつミーティング
 0 - 1:15pm                         ランチ 2つの研究グループと
 1:30pm- 2pm                      教官Hとミーティング
 2-3pm                                選考委員全員とグループミーティング
    3pm -                                 大学キャンパス見学
 6pm-9pm                        夕食 選考委員長・副委員長と
4日目         帰宅

 …写すだけでも面倒くさいこのスケジュール、すべて終わるのに丸々二日以上。
 2日間朝の7時から夜ご飯を食べ終わってホテルまで送り届けてもらえるまで、一人になれるのはお手洗いに行くときだけ。それ以外は、知らない人ととっかえひっかえ面談・おしゃべり・・・・・というのは、この『面接』以外ではなかなか経験できないものでしょう。クタビレマシタ。

 受ける方も大変ですが、面接審査をやる方も大変。この学部は4名の候補者を面接したので、彼らはこの選考に、候補者と会うことだけで8日使ったことになります。でも、考えてみれば面接官たちは将来の同僚を選ぼうとしているわけで。精神的な問題を抱えている人だの、会話力に問題がある人だの、あるいは英語は通じても話が通じない人だの、素晴らしい業績を上げてはいるが、実はボスの言うとおりに素直に仕事をしてきただけで自分ではあまりものを考えない人だのは避けて、よい実績を持つだけでなく、コミュニケーションもスムーズで、問題なく研究を進め、さらに学生の指導も任せられそうな人を選びたいに決まっています。そして、2日間もいろいろな話をしていれば、小手先の技術だけではカバーしきれないもろもろが面接者が気付かないうちに人目にさらされているわけなんですね。

 こういうのを受けつづけ、これがフツーと思い込んだのちに初めて日本の面接を受けたとき、その『落差』には驚きました。1時間半たらずでセミナーから面談からすべて終了。これでなにがわかるのだ~~、あ、これが出来レースというやつか、私の面接は消化試合だったのですね、と大いに納得し・・・・・・・実は、まじめにやっていたということを後で知ったこともあります。

 でもね。一度大学に任期なしで人を採用したら、困った人だったとしても、もともとその大学にいた教官たちの同僚として居ついてしまうわけです。また、任期付の人であったとしたら、出ていくときまでにしっかりとした実績を出してもらわないと、まさにその人の生存に関わるわけで。数年後に送り出す側だって、ひやひやするような人はいやでしょう。なにより、大学とは教育機関、研究・教育実績とともに、そもそも人格だの(表面に出てくる)倫理観だの挙動素行だのに問題があるような人に来てもらっては大学の社会的責任にかかわる。

 そう考えると、日本の大学、もう少し真剣に時間をかけて、矯めつ眇めつ人を選ぶ能力を身に着けないと、ゆくゆくは、大学教育のレベルにも問題が出てきて・・・・・・ということになってしまうのではないでしょうか。
 単に、他国のマネをする、というのではなくて、他国の高等教育機関がどのぐらい真剣に人選に力を注いでいるかをみて、よさそうなところだけ取り入れれば、国の高等教育レベル=国際競争力にじわじわと貢献するのではないかと思うのですが。
 
 いかがでしょう?