2015年7月31日金曜日

今年の夏は

 今回の記事の公開は、7月31日。

 なんと、七月が終わってしまう!!

 ということに、ほんの数日前に気がつきました。七夕、に驚いたのは、つい数日前の気がするのですが。

 七月は、ドタバタとヘテロシグマへのウイルス感染を時系列的に解析するための実験方法の設定であっという間に終わってしまいました…。
 去年も大騒ぎしていた『ゲノム支援』へのサンプル提出。今年は、ウイルス感染過程のRNAseqをお願いするのですが、当然ながら、タイミングを考えてサンプリングしたものの解析をしなければ、せっかく支援していただく意義半減。というわけで、ウイルスをヘテロシグマに感染させた後のウイルス増幅の時間経過を測定して、見当をつけた上でRNAを抽出しよう。

 単純きわまりない実験のはずが、うまく結果がでるまでにぴったり3週間かかってしまいました。幾つかあった落とし穴に気がついて対処するのに途中2週間がまるまる消えて、最後の1週間で、やっと結果が得られた。

 いえ、結果が得られた、といったって、まだ、ウイルス増幅の時間経過が測定できた、だけなんですね。本当に必要なのは、これで決定したタイミングで、十分量のRNAをとること。ゴールまで、まだ二山ぐらいありそうな気がします。

 という、ワタクシレベルのドタバタの一方で、この『ゲノム支援』、本当に有り難い研究支援です。なにせ、もとをたどればヒトゲノム計画に参画されたメンバーが多数含まれ、その後、この道の技術革新をリアルタイムで形作ってきた、日本を代表するゲノム解析の一流研究者たちによる支援。単に、お金を払って委託解析をするのとは訳が違います。去年は、お願いした葉緑体ゲノムの配列解析がうまく行かず、急遽ミトコンドリアゲノム配列を全長で読んでいただくことになったのですが、読んでみた→うまく行かない→原因をディスカッション→計画変更・実施→完遂というステップを踏みました。この、知識も技術も足りない当方を徹底的に支援してくださったことに加えて、さらに有り難かったのは、生リードをアセンブルする方法を私が支援班グループに御邪魔して一から教えていただいたことでした。ゲノム支援のHPトップに、『ゲノム科学のすそ野拡大とピーク作りを目指します』とありますが、私もこの支援によって、すそ野に入れていただいた訳です。今後、NGS解析は、無くてはならないツールになることは明白で、この支援を必要としている研究者は沢山いると思います。是非継続していただきたい文部省による支援事業です。

 ....などなどの、室内の悪戦苦闘の一方で、今年の夏は、格別に暑い気がします。
 夏の初めからばてばて。滅多に直撃しない台風が、倉敷の真上をとおったり。そして、連日最高気温が34〜5℃の日が続きます。

 暑い気候が関係するのかどうか、今年は圃場に白鷺が数多く見られたり。




 暑くて熱い夏がまだまだ続きます。夏休み取れない気配濃厚…笑。

 

2015年7月24日金曜日

買ってでも(?)

 よく、若いときの苦労は買ってでもしろ、といいますね。

 苦労、というのとは違うのかもしれませんが。
 長らくの米国暮らしで、英語が『しゃべれない状態』を長らく味わったのは、今となっては実に『よかったこと』の一つだと思っています。

 あれは、ホント、苦しかった。
 私は、結局滞米中ずっと同じラボに属していたのですが、これが、なかなか荒っぽいラボで。
 ま、私がいたDown State New Yorkという土地柄は、アメリカの中でも有数のお行儀が悪い土地ということにはなっております。
 その御土地柄に影響を受けて、というよりは、そもそもいる人たちがアクがつよかった。困ったちゃんも多かった。ボスも、めんどくさがりの放任主義だった。
 お陰様で、云わなきゃ分からない場面、伝えられなきゃ大変なことになる場面が多発する職場だった訳です。

 また、学部生を長期実習生として受け入れて一緒に働くことが多かったのですが。初歩的な実験を教え、結果を見て話し合い、という、ごくフツーなコミュニケーションに始まり、間違って覚えていることを指摘して訂正する、だの、だだこねるのをなだめる、だの(笑)、いい加減なことをしているのを注意すると逆ギレする(極たまにいた)のに対処(対決?)する、だの。
 もちろん、進路の相談だの、家庭内の問題だのについてじっくり聞いて…なんていうのもありました。

 当然と云えば当然ですが、流暢にしゃべれれば、ラクなんだろうな。という場面が沢山。。

 毎日新聞を読み、一日中電子辞書を持ち歩いて片っ端から辞書を引き、努めて毎晩テレビも見て、振り返ってみれば、結構頑張った。
 でも、アメリカ人が殆どいないラボ環境、生きた口語、実際の会話で使う表現って、実は一番習得が難しかった…。

 となると、手持ちの語彙でなんとかするしかありません。

 手持ちの語彙を駆使して、要領よく云いたいことを伝えるしか無い。
 シンプルな言葉を少なく使い、余計な疑問が生じて話が錯綜しないように、必要な情報を効率的に伝えるしかないわけです。

 で、毎日毎日そういう必要性に追いまくられて『英語』がはなせるようになる…よりも先に身に付いたのは、『手短に説明する力』でした。

 確かに、13年もあちらで暮らせば、英語は話しやすくはなります。
 英語で会話する際に、『異国語で話す』ストレスに縛られるよりも、会話を楽しむという感覚が大きくなったのも確かです。
 でも、私に限っては、長くいればいるほど、克服できない壁がど〜んと目の前に立ちはだかるのを感じました。所詮外国語。日本語と英語ってものすごく違うし。自分のセンスにも限りがある。

 でも、というよりも、おかげで、説明能力は格段にあがったようです。そして、言葉少なく云いたいことを伝えることの重要性に、切実に思い至りました。
 これは、会話だけでなく、文章を書くときも同じ。帰国してからは、むしろ文章を書くときに、『手短記述』能に助けられています。

『英語を話しやすくなったこと』よりも、『説明・記述能が向上したこと』は、英語というものに追いつめられ続けた13年の大きなご褒美だと思っています。
 若いときのクローはしておくものです、ほんと。
 

2015年7月17日金曜日

目から鱗が2枚…

 ウイルスの遺伝子が読めて、ヘテロシグマの遺伝子の一部の情報も得られたところで、遺伝子発現解析中。
 96 穴プレートを使ってたくさんqPCRをしなければなりません。
 実験の手間がかかる上に、消耗品も結構使う。というわけでケチケチ作戦なわけですが。

 実験していると、どんなに注意して分注しても、どうしても液体が96 穴プレートの中ではねあがったり器壁についたりします。遠心して落としたい。
 でも、この遠心機、結構するんですよね。低速なものなのに、7~8万円する。
 エタ沈にも使えるような高速で回せるものだと当然もっとお高い訳ですが。
 …う〜ん。高いものを買う方が、使い回しが聞いておトクではありますが、今の所は必要なし。安い方は、しかし、これしか使えないうえに、作りがイージーといいましょうか、まわしていてもガタガタしそうなものが多いんですよね。上からがしっと手で押さえつけたくなってしまう感じ。
 そのガタガタに7~8万円か…。

 何となく納得いかない思いを抱えながらネット検索していると、『手作りのプレート遠心機』という言葉がでてきました。
 え?ほんと?手作りって・・・・?

 半信半疑で見てみたところ、

 なんと!!こんな手があったとは!!!

 サラダスピナーを使うって…。確かに、あれ、よく回りますものね。膝を打って感動しました!

 実際使ってみると、本当に細かい水滴はやはり落としきれませんが、しばらくこれでやってみようと思います。
 
 というテクニカルなヒントを超えて、このブログの筆者さん、本当に実験がお好きなんだな…と、ちょっと感動しました。

  そうだよね、そうだよね、大なり小なり予算が限られているのは誰しも同じ。
 出来ることを出来る範囲でやっていくしかないし、やりたいことは、知恵を絞ってやるしか無い。で、その気になれば案外手があることもあるのよね。

このブログ、スゴイ。これからちょくちょくの覗かせていただこうと思います。

 という一方で、もう一つ、地味に驚いたこと。

 これは、共同研究者が過去に取り組んだ話なのですが。

 注意深くピペッティングすると、システマティックに測定誤差が減らせるという話
 具体的には、実際に試薬をピペットで計りとる前に、その試薬を数回すってディスペンスして…を繰り返して、その後に実際の実験のための操作に移ると、測定誤差がかなり減らせるとのこと。チップの内壁を用いる溶液でコーティングしてやったあとで、その溶液を計りとる、という操作が、ピペッティングの正確性を上げるために有効なのですね。
 『サラダスピナーで遠心機』の真逆を行く、自動分注機を使う際の注意点ですが、当然ながら、人力ピペッティングにも有効なはず。何度もピペッティングするのは面倒ですが、しばらく丁寧な操作を心がけてみようと思います。
 

2015年7月10日金曜日

倉敷ぐらし

 珍しくラボから離れて、倉敷の紹介をしてみます。

 とはいえ、観光地として知られておりますので、その手の情報はこちらをごらんください。

 観光地としてだけでなく、倉敷というのは、住むにもよい場所です。
 ここでも何度か書いてきましたが、なにせ岡山南部は『晴れの国』、梅雨も軽いし、台風はそれるし、雪は降らない。でも、中国山地があるので、水不足にはまずならないそうです。水も結構おいしい気がします。

 また、地震がほとんどありません。体感できる地震は、こちらに住んで4年の間に覚えているだけで3回でしょうか。

 天災がそもそも少ないというのは、実に有り難いことです。ここ数年の、集中豪雨や大地震や大雪のニュースを見るたびに、『安全な土地柄』というのは得難いものだと思います。

 一方で、大都市は全くない岡山。県庁所在地の岡山だって、町という感じで、都市、とは違う感じ。
 人口が少ないので、お店だのなんだので、並ぶということが無い…。
 新しいコーヒーショップが開店して数時間待ち、だの、人気のレストランの予約は1ヶ月以上先まで埋まっている、などのトウキョウの話を聞くと、ひえ、と思います。

 人口が過密でない、とくると、当然家賃も地価も御手頃。
 海の幸・山の幸が豊富で、産地が近いのでお値段も御手頃。また、たまたま、手に届くところにとても品揃えのよいワインショップだの、コーヒー豆を目の前で焙煎して売ってくれるお店だのがあり、なんと、所の正門の真ん前にちょっとすてきなケーキ屋さんが出来たりして、ワタクシ的には、食生活+嗜好品は文句無くまかなえております。

 玉にきずは、公共交通機関が発達しているとは云えないこと。路線バスは、年々廃線が増えているということですし、山陽本線も電車の本数が少ない。大阪から尋ねてくれる共同研究者によると、大阪・倉敷間移動の一番の律速ポイントは山陽本線だそうです。たしかに、のぞみの1時間あたりの本数の方が、山陽本線の本数より多い(笑。
 とはいえ、少ない本数でもぎちぎちすし詰めということは無いのを考えると、増やす必要も無いのですよね。

 ただ、驚いたのは、冬が寒い…。瀬戸内って少なくとも冬は温暖だと思っていたのに。とはいえ、雪さえ降らなければ、冬の寒さぐらいなんとかなっちゃうんですよね。

 困ること、よくないことは…強いて云えば、美観地区が、特に週末は大変混み合う。地元民的に、自転車で通り抜けようとすると、結構ホネです。4年前に比べて、混み合い方が激しくなってきた気もします。観光地としての人気があがったのかもしれません。

 以前も書きましたが、当所は、倉敷に縁の深い大原家によって創立されました。この地には、日本で最初の私立西洋美術館である大原美術館がありますが、名前が示す通り、こちらも大原家によって設立されました。さらに、倉敷中央病院も、倉敷商業高校も、大原家によって設立されたものですし、観光地のホテルとして有名なアイビースクエアはもと倉敷紡績工場(大原家が創立)ですし、本当に、この町は大原家に強い影響を受けています。成功した企業の長とはいえ、ある人の高い志と善意が目に見える形でそこここに残っている町というのは、考えてみたらなかなかない気がします。大きすぎる町ではないからこそ、逆に、個人の業績が大きく見える形で残された、とも云えるかもしれません。

 う〜〜ん。別に、ほめあげようと思って書き始めたのではないのですが、こうやって書くと、褒め言葉が多いな。自分で読み直しても、褒めすぎてイマイチ面白くないではないですか(笑。

 でも、4年間住んでみて、私はかなり気に入っています。倉敷でのんびり住んで、刺激が欲しくなったときは都会に遊びに行く、というのも新幹線や飛行機のおかげで可能なことを考えると、結構贅沢なロケーションのような気がします。


 

 

 
 


2015年7月3日金曜日

ここまでの進展

 2015年、七月第一週。
 私たちのグループは、創立2011年9月1日、なわけで、もうすぐグループが出来て4年。
 ヘテロシグマの研究も、発案してから4年の歳月が経った訳です。

 株を手に入れて、培養に慣れて、無菌化して、核酸の取り方を確立して、ウイルスの精製も確立して、遺伝子を読んでみて…。を続けて4年もたつと、さすがに必要な情報基盤が整ってきて、仕事がしやすくなってきました。
 『情報基盤』というとおおげさになりますが、部分的にではあっても遺伝子配列の情報が得られたことは、大変大きい。今の所手に入れたのは、ウイルスの全長配列と、ヘテロシグマの、ほんの部分配列の細切れ断片。ヘテロシグマのゲノムサイズから云えば本当にわずかな情報しか無い訳ですが、それでも、この配列の山を探ってみると、利用しがいのある配列が掘り起こせたりもします。たったそれだけの情報でも、あるとないとでは大違い。いろいろな解析がぐんとやりやすくなります。

 これまで、全くのブラックボックスのヘテロシグマを手探りでおっかなびっくりあつかっていた訳ですが。宿主にしても、ウイルスにしても、遺伝子配列がほんの少しでも分かると、それらがハンドルになるんですね。ここ2ヶ月ぐらいで手がかり整備が済んだおかげで、ぐいっと自分の土俵にヘテロシグマを引っ張り込めた感じ。

 まだまだ先は長いのですが、ここまでくるのも、一人ではとても無理!でした。いろいろな方々に助けていただいて、教えていただいて、お知恵も拝借して、やっとのことまでここまで来れたというのが本当のことです。振り返ってみると、いろいろな場面でいただいた手助け・アドバイスの有り難さが身にしみます。

 ヘテロシグマを扱うようになってからはさっぱりご無沙汰していた、しかし、こちらに来るまでには日常的に行っていた遺伝子発現解析。モデル生物であれば極めて普通にできるはずの手法を、ヘテロシグマを用いて久しぶりに手がけながら、じんわりと嬉しい♪
 
 未知の生き物、変わった生き物として初めて手を触れたヘテロシグマですが、核酸配列が扱いやすくなり、培養方法は確立し、となると、これはモデル系に近くなってきます。
 あとは、遺伝子導入方法を確立出来れば、分子細胞生物学的な研究対象としては言うことなし。
 とりあえず、今の状態で出来ることは総なめにして研究を進めながら、遺伝子導入については、楽しみついでに気長にトライしていきます。

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という、研究がらみの話題はさておき。

 今週は、勤続38年!の事務のK さんが退職されました。
 退職の日が近づくにつれて、いなくなっちゃうなんて、寂しいよね。。。と話題にでてくる人気者のKさん。
 いままでお世話になった感謝の気持ちを込めて、人生の次のステージにおおくりしましょう♪と、研究所あげてサプライズ・セレモニーがおこなわれました。

 Kさん勤務最後の日、正午になったたところで、申し合わせた通り研究所都合のつく人たち‥‥総勢80名もいたでしょうか‥‥が、そろっと会議室に潜んで、全く知らないでよばれて入っていらしたKさんを拍手とクラッカーで御出迎え。花束、プレゼント、そして金メダル!をお渡しして撮影大会♪

 企画された所長and事務長、なさることダンディーですね♪

 午後に御見かけしたKさんは、金メダルをかけて最後の仕事をされていました。

 Kさんのご人徳あってのことではありますが、それにしても、研究所をあげてサプライズ・セレモニーなんて、ほんとうにあたたかい職場です。
 こういうことが、じつは結構頻繁にあるんです、この職場。そのたびに、ここで働けてラッキー、と、ほのぼのします。

 Kさん、これからの楽しい生活の間を縫って、ときどきは遊びにきてくださいね。御元気な笑顔にお会いできるのを楽しみにしています♪