2017年9月29日金曜日

日常復帰

 チリ出張の興奮も冷め、日常復帰です。
 気温が少しずつ落ちていき、湿度も少しずつ下がり、特に朝方は、爽やかな秋!を感じることが多くなってきました。

 目新しい業務が多く、たくさんの人とのやりとりに興奮した出張でしたが、一方で、培養したり、実験したり、遺伝子配列の解析したり・・・という、私にとっての「日常」に復帰できるのは、本当にホッとします。
 これが私の本来の居場所なのだ!と、ちまちま遺伝子配列の解析ソフトをいじりつつ、PCRかけつつ、密かに心から納得したりもします。

 そして、毎年ながら9月末といえば、科研費書きに忙殺されているところです。う〜〜、今年は、ちゃんと通したい。。。。。
  今年もあと100日足らず。早いものですね〜。


2017年9月22日金曜日

チリの自然

 さて、チリの自然特集、です。チリとは、西側に太平洋、東側にはアンデス山脈がある、南北に長〜〜い国です。海、高山、平野の中には砂漠まであるわけです。この出張中には、この国の、4都市、北から、アントファガスタ、サンティアゴ、テムコ、プエルトモン、と巡ってきました。というわけで、それぞれの訪問地をご紹介。

 今回の出張は、サンティアゴについたのちに、すぐに北部アントファガスタに飛びました。
アントファガスタは、砂漠と海に挟まれた町で、銅鉱業の拠点でもあります。起伏のある砂漠がそのまま海につながっているような町。日本にいると、ちょっと考えられないような地形と雰囲気です。

 銅鉱業は、チリ第1の産業で、同じ職種でも、銅鉱業関係者は、他産業の関係者よりもお給料が良いのが歴然としているのだそう。
 移民が多く、町の中の地域によって貧富の差がはっきり分かれているのだそうです。






その町から車で10分ぐらい走った見晴らしの良い高台に連れて行っていただきました。
 なんだか、劇的な風景ですね。







この町は、古くは銀の鉱山があったそうで、その遺跡が残っています。
 古くは銀、今は銅で栄えてきた町なのですね。
 この辺りの水道水は、海水から塩分を抜いたものと、陸からなんと母つけてきた水を合わせているのだそうです。まず、雨は降らず、曇りは一年に25日、らしいのですが、この日は曇ってました!水分があまりにもないために、地衣類もほとんど生えていない、土がむき出しの土地です。街路樹などはすべて灌水しないと持たないのだそうです。

 1泊ののち、サンティアゴに飛んで一泊し、すぐに南の方にある、このプロジェクトのチリ本拠地テムコへ。



実は、今回の旅では、テムコで写真を撮りそびれてしまいました。チリは、今は冬の終わり、春夏は、緑豊かなテムコなのですが、この旅では、葉が落ちた木が多く、寂しい印象。

左の写真は、去年の11月にチリを訪ねた時、テムコから車で1時間ぐらいの郊外で撮ったものです。牧畜が盛んな地域でした。


さて、テムコにも一泊しただけで、次の日は、南の町、プエルトモンへ。こちらは車で5時間ほどのドライブです。
曇っていたのですが、時々晴れ間が見えます。写真の奥の方に見える白い小さい山は、オソルノ山という火山。この写真だとうまく見えないのですが、富士山の山頂をもう少し狭くしたような、優美な形。美しい山です。
 さすが地震大国チリ、実は、このあたり、火山が3つ並んでいるのです。一つは最近噴火して、山の上部が吹っ飛んだという話でしたが、私たちが訪ねた時にはその気配も感じられませんでした。

 プエルトモン、というのは、実は、パタゴニアと呼ばれる地域の北端にあたります。ここまでは、チリを縦断するハイウェイがつながっているのですが、プエルトモンは、その終点。チリの南部を世界地図で見ると、リアス式海岸が長くつながっているのがわかります。チリ人の表現によると、Continental Chile、つまり、南アメリカ大陸の一部にしっかりつながっているチリ国土は、ここで終わり。南に行くと、どんどん島やリアス式海岸が増えていき、陸路での旅が非常に効率悪くなるのだそうです。じつは、私たちの研究のサンプリングポイントの一つとして、南アメリカ南端に近いプンタアレナスという町が入っています。ここには、プロジェクトが本格的に始まったら、ぜひ行ってみたいのですが。。。。どんなところか想像を絶します。

 さて、プエルトモンのすぐ近くに、チロエ島という島があります。この島は、ムール貝の養殖と鮭養殖が盛んな地域で、赤潮の被害も出やすい地域。

 島、いっても、ほぼ四国ぐらいの大きさがあるとのことで、そうか、四国も島なんだなあ・・・。

 晴れ男Kさんのおかげで、この日は徹底的に良いお天気でした!
フェリーに乗って島に近づくところです。











 とにかく、緑豊かな島で、牧畜と漁業+観光で成り立っている島。
 小さなお家が多いのですが、長閑なで静かな生活ができそうな美しい島でした。






貝養殖城の近くの海水。本当に透明でびっくりしました。


このきれいな水あっての貝養殖で、ここで赤潮の被害が出たら、それは本当に大変なことだと実感。






 この町で、ずいぶん詰めた話し合いを持ち、かなりヘトヘトになってサンティアゴに移動。

 サンティアゴは、大都市です。高層ビルが立ち並び、その多くはガラス張り。
 チリは地震が多いのに。。。。と思ったのですが、チリの建造物の耐震性は定評があるのだそうです。
 比較的新しいピカピカのビルが立ち並ぶさまは、チリの現在の経済状態の良さを感じさせました。写真不足なので、この辺りは、また次にチリを訪問した時にでも。
 今後5年間、一年に2ヶ月程度は滞在することになる覚悟をしているので、逆に目の色変えて写真を撮るというモードになりませんでした。。。。

 最後に、アンデス山脈。
 サンティアゴ市内からは、アンデスが間近に見えます。空気が澄んでいる日が少なく、白っぽ画像になってしまい、残念。
 雪を頂いた峻険な山は、ほとんど神々しい。目に入るたびに感動してしまいます。今後5年間の二国間プロジェクト、どうぞ見守っていてください、と言う気分でした。










2017年9月17日日曜日

さて、帰国

 12日間のチリ滞在を終え、現在帰国途中、ロサンゼルスにおります。

 今回の旅の目的は、二国間の共同研究を含む共同研究プロジェクトを行うために、必要な連携機関に協力を依頼し、日本側も含めた各機関の役割分担を定義し、協力内容について合意を取り付け、最後にそれらを明確に文書に落とし込んだものにサインをいただく、というもの。今まで基礎科学研究にしか経験がない私たちには全くなじみのないものでした。同行者も、共同研究を行う日本側研究者3名だけではなく、JSTより2名、JICAより3名、JICAから依頼されたコンサルタントが1名、プラス研究者4名。

 誠に大変色々勉強になった旅でした。。。。

 このプロジェクト、採択されるまでの流れはびっくりするほど順調だったのです。行く先にあるドアというドアが、把手に手をかけるかかけないかのタイミングで、ぱたん、と向こうに開いてくれる感じ。なんでこんなにパタパタと上手くいくのか気味が悪い……、あ、これが人生に時たま吹くと噂に聞く『追い風』というやつね?と、納得いくまでに時間がかかりました。苦労人だもので。笑

 幸運に重なる幸運に感謝しつつ、しまいには他愛もなく『無敵』な気分になり始めていたのですが、このチリ出張=詳細策定調査の直前にチリ側でいくつもの展開があり。私たち研究者チームは、その展開の重要性もよく理解できないまま、のほほんと構えていたのですが、このテの手続きを扱うプロであるJICAとJSTの担当者皆さまは、「本当にまとまるのか?」と、ご心配くださっていたそうです。

 確かに、一山超えた、と思いきや、え、上り坂、続くの?え、まだ上り坂??という、最初から分かっていたら腰が砕けたような紆余曲折を経て、最終的にはチリ側参加機関の皆様のご承認をいただき、無事、調印式にこぎつけました。

 詳しい経過は、これを経験した本人たちにしか面白くないような長い話になりますので、割愛。
 しかし、この旅をご一緒し、何から何までお世話になった皆様については、やはりここに書き残しておきたい気がします。

 まず、旅の予定を立てる段階から、旅の途中の変更に次ぐ変更を織り込んだ書類作成改訂を一手に引き受けてくださったJICA Yさん。連日の方針決定のためのミーティング後、私たちがご飯を食べてリラックスしている時間にも、彼女は書類作成や改訂、諸機関との連絡に大忙し。調印式ですべての機関の代表者からサインをいただく最後の最後まで気の抜けない激務は側から見ていても頭が下がりました。本当に有難うございました。
 また、これまでの経験を生かして、常に淡々と穏やかに、的確に議論をリードをしてくださった同じくJICA Iさん。という表の顔からはちょっと想像がつかないお茶目なところがバレちゃったりするところは、道連れの多い長旅ならでは、です。
 6月のチリ訪問時からいろいろお世話になっているJICA Sさん。実は、彼女とSさんには、私たちが理解できていないところで、多大なご迷惑もおかけしていたということがこの旅の間に判明し、申し訳なさに冷や汗でした。とはいえ、朝ごはんを食べながらのいろいろなトピックでのおしゃべりが楽しかった。一足先に帰国された時には、ちょっと寂しかったです......

 JSTからは、A先生とKさん。A先生の長年の国際協力のご経験に基づく的確なご助言と、穏やかに明るく皆の気持ちを引き上げてくださるお人柄には、皆感服していました。A先生がいらっしゃらなかったら、今回の話はまとまらなかったと思います。そして、いつも明るいKさん。チリでの冬は雨が多く、降らずとも曇り空が多かったのですが、漁業の盛んなチロエ島に視察に行く時に晴れたのは、『後から申告晴れ男』の彼のおかげです。笑 冗談はさておき、A先生とKさんは、国際共同研究のセットアップ部分である調査に多くの経験がおありで、いろいろなお話を伺えたのは本当に勉強になりました。Kさんには、今後、研究開始までの「詰め」段階でさらにお世話になります。どうぞよろしくお願いします。

 そして、異色のキャラ、JICAより依頼されて同行してくださった、コンサルタントのTさん。世界の国歌マニアだそうで、異なる言語間比較ネタからスポーツネタまで、な、なんでそんな情報がスラスラ出てくるの?という引き出しの多さと、造詣の深さは特筆ものです。

 最後に、フツーに大学教員していたら、多分一生お世話になることもなかった、通訳のお二人。英語・スペイン語通訳のDさんは、彼自身の美学を感じさせる徹底した縁の下の力もち振りと、スムーズでわかりやすい通訳のワザとで、同行者皆の賞賛の的でした。また、最後の3日間だけお世話になった日本語・スペイン語の通訳のKさん。16歳にして通訳業についたという彼女、信頼を置かずにいられない、スムーズかつ的確な通訳振りもさることながら、幼い頃から、自分の道を進んできたパワーと、明るいながら求道的な真摯さに脱帽でした。お昼ご飯を食べながらのおしゃべりが、とても印象に残っています。

 研究者チームは、このプロジェクトのFounding members3名+研究代表と連携して、このプロジェクト開始時からチリ入りする若い研究者一名。研究者チームのキャラについては。。。。。やはりカラフルなチリ側研究者の皆さんも含めて、今後、このプロジェクトについて書くことが増えるにつれて、だんだん浮き彫りになっていくのをご期待ください。笑

 ご一緒した皆さま、本当に有難うございました。
 どうぞ、このプロジェクト、終わりまで見守っていてください。
 また日本でお目にかかれって、進捗をご報告できますことを楽しみにしています。 
 
 

 
  

2017年9月11日月曜日

3度目のチリ訪問

 さて、9月に入った途端、3度目のチリ訪問。アントファガスタ→テムコ→プエルトモント→サンティアゴ、ときて、現在サンティアゴ滞在中です。実は、本日は、チリ独立に重要なきっかけとなったクーデター記念日(!)に一番近い週末。この時期に、去年は国内過激派による爆破事件があったとのことで、ここ2、3日は大人しくしているようにとのお達しを受けています。ホテルのキッチン付きの部屋で、皆で簡単な料理作って過ごすことになっています。

 今回は、プロジェクトに参加する3大学すべてと関係省庁を回り、研究開始に必要な手続きを踏むための旅です。本来ならば、研究代表だけが参加すれば良いのですが、スムーズに研究開始つなげるためにも、もう少し議論したほうが良いことを詰めるために、参加研究者はみな同行しました。JSTとJICAからも数名ずつ参加してくださるため、今回は日本から総勢9名道連れの旅です。

 と、サラサラ書いてきましたが、単なる手続きを踏む、という以前の交渉ごとが山積みで、これからあと数日はこの状態が続きます。
 最後に、すべてのチリ側関係機関のサインをいただくまで、気をぬくことなく行こうと思います。

 ヘビーな話し合いが多い旅ではあるのですが、一方で、南北に長いチリという国のあちこちを回る旅でもあったため、砂漠・緑の沃野・雪を頂く山、そして綺麗な海、と、いろいろな風景に巡り会えました。
 この辺りは、帰国してから写真でご紹介できればと思います。