2016年2月6日土曜日

100周年記念関連事業

 ここしばらく、ごく普通に、研究あれこれに勤しむ日が続いておりましたが、今週は、100周年記念関連事業の一環として、研究所の正面玄関に設置された大原孫三郎氏のブロンズレリーフの除幕式がありました。

 
 除幕式、と言い条、実は設置されてから数日は覆いもなく普通に見れる状態になったので、正面玄関を使う所員は、皆、この作品をすでに目にしていたわけです。

 私たちがいつも目にすることの多い同氏の写真は、こちら。
 
 ブロンズ像を見た私たちの間での評判は、「なんか、違うよね??」。
だったのですが、除幕式に参加してくださったブロンズ像の作者、三木勝氏のお話によると、このブロンズ像のモデルになっているのは、大原氏が当研究所を設立した、34歳の時の写真なのだそうです。まさに「青雲の志を抱いた青年実業家」としての時代だったわけで、納得するとともに、その若さでの事業だったのか、と、新たに感銘を受けました。

 さらにその後、倉敷市内、研究所にほど近い向山という丘陵地の上にあった石碑が当研究所に移設されたということで、その紹介がありました。詳しくはこちら
 石碑が記念している小山楽山という方は、当研究所開所時に大原氏に招かれて、果樹の専門家として研究所の初代メンバーとなられた方で、日本の白桃の元となった品種を育成した大久保重五郎氏が師事した方だそうです。私は岡山に来て、初めて岡山の白桃を知ったのですが、あの芸術的な白桃という品種の源にこの研究所が関係していたとは、今回初めて知りました。もともとは、小山氏がフィールドとして作った果樹園(そして、小山氏は、この果樹園で亡くなられたとのこと)内に、氏の功績を讃えるために作られた石碑なのですが、時代の移り変わりとともに、果樹園も閉鎖され…。石碑へのアクセスが悪くなるとともに、小山氏の功績への感謝の念が風化してしまうことに心を痛められた方が、当所にこのことを知らせてくださったことが、結果的に、当所の記念行事の一環として石碑を移設させていただくことにつながったわけです。
 特に、100周年記念の際に、この研究所の歴史についてはずいぶん色々詳しくなったつもりでいたのですが、今回の行事では、新たに感銘を受けました。
 

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