2015年9月25日金曜日

迷走対策、あるいは降りられない試練

  以前読んだ話。
 とある高名な物理学者が、研究の進め方について、

『研究の時間配分は、計画:実行:発表=1:1:1とするべきだ』

 とおっしゃったのだそうです。

 このお話、研究者向けの講演会ではなく、(なんと)小学生向けに『研究ってこんな仕事』という話をなさったときにでてきたことで、出席していた保護者(のひとりだった研究者が)がとても強い印象を受けた、ということだったのですが。

 既知の事実を分析して、新しい知見を得るための研究計画を立てる=1、実験=1、論文執筆と学会発表(の準備)=1。自分が小学生だったころに、このお話に感銘を受けられたかどうかは怪しいものですが、いまの自分の立場になってみると、とてもうなずける話です。

 振り返ってみれば。学生のころの私は、計画:実行:発表=1:6:3という感じ。

 ポスドクになってからは、2:5:3ぐらいでしょうか。それでも、実験に圧倒的に時間を割いていた訳です。

 実験にも論文執筆にも時間がかかります。とはいえ、計画に労力を割けば割くほど、その後の研究に無駄な迷いがなくなるし、結果的にはよい研究につながるのは、無論でしょう。

 実は、私自身の研究生活、最近は比率1:1:1に極めて近くなった感じがしています。
 というより、ならざるを得なかった。
 なぜかといえば、単に今の立場になって初めて『研究費確保』が仕事の一部になったから。

 大学・研究機関によっては、優れた研究実績を上げている研究グループに多額の研究費を優先してまわすような仕組みを持っています。一方で、私が所属するような地方国立大学は、その手の『運営費交付金』というのはかなり限られています。研究したければ、外部資金をとってこなければなりません。
 そう、潤沢な研究費が毎年降ってくれば、研究費獲得のための申請書書きは不要。その分の時間を、実験と論文書きに当てた方がよいに決まっています。
 つまり、外部資金の獲得は、いわば『必要悪』。空から降ってくるお金がないから、仕方なくやっていること。

 …なのですが、私自身に限って云えば、この『必要悪』である外部資金獲得からは、降りてはいけない気がします。
 なぜかというと、私は迷走しやすいタイプだから。
 研究が出来る人、というのは、研究計画がきっちりと頭の中に出来上がっていて、その地図に従って研究を進めて行きます。
 はずかしながら、私は、地図があやふやなのに走り始めるタイプ。ちょっと面白そうな方に走り出して、あらスタック、それじゃ方針を変えて、あれ、どっちにいきたかったんだっけ??となりがちな人でした。

 でも、ここ3年ほど、この『行き当たりばったり』からずいぶん脱却しました。
 なぜかといえば、それは、研究費獲得が仕事の重要な一部になったから。

 行き当たりばったり人間も、さすがに『研究計画書=研究費申請書をある程度の競争倍率でスクリーニングされる』という切迫感においつめらて、厳密な自問自答を繰り返して研究計画をたてるようになったわけです。
 逆に言えば、こういう人にとっては、研究進行の『地図』をつくるために、競争的研究資金獲得という過程は、必要不可欠なのかも。
 
となると、研究する以上、この『競争』から降りて自由になるわけにはいかない訳だ。

 ……あ〜〜あぁ。

 とっくの昔についているあきらめですが、しかし、このシーズンになるともう一度心の中で転がさずにはおれないこの思い。そうです、今年も科研費の申請準備をする時期になって参りました。

 いや、正確にいえば、申請書を書いている最中は、愉しいんです。
 問題は、これが通過『儀礼』ではなくて、通過『試練』であること。
 …これが、一定の倍率でスクリーニングを受けることを思うたびに、心臓の右隅あたりがひくひくっと震えます。これで来年度の命運が決まるんだものなあ。

 ところで、研究費獲得は、研究活動の入り口でしかない、一方のゴールである論文書き。論文を仕上げたら、かならず『査読』が待っている。そして、査読をへて論文を通す過程も、これまたシンドイ。なんでこんなしんどいことせなならん、と思いつつ、これをなんとかすることで、結局は自分が発表しようとしている『科学』が確実に洗練されるからこそ、四苦八苦なんとかしてしまうわけで。

 ……この仕事、するのに不可欠な資質のひとつは、被虐趣味です。苦笑。
 

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