2013年3月8日金曜日

(生物実験系)研究者いろいろ

 今回からしばらく、研究者いろいろ、のお話。

 あくまでも私自身の意識ですが、自分が大学院生のときは、自分の事は研究者、ではなく、学生、と定義しておりましたので、今回は、研究を生業にして給料を取っている人、プラス、研究の完遂(結果を出して何らかの形で世に発表する)を使命とする人、というのを研究者として話を進めさせていただきます。
 最初にお断りしておきますが、結構キビシイ博士号取得者の職探しに関する話がでてきます。私自身、この仕事には強い愛着を持っており、他の仕事は私には勤まらないと確信しているのですが、それにしたってアカデミア(academia=基礎的学術的教育研究に携わる世界。応用→利益を最終目的とはしない、いわば教育・研究のための教育・研究を行う機関の総称)での研究者の生きる道って、結構シビア。これから大学院に行って博士号取っちゃおうかな~~、と思っていらっしゃる方には、あまり明るい話ではありません。スンマセン。
 ただ、私自身の経歴をみていただければお分かりのように、私は『ずいぶん苦労しましたね・・・、ま、生き延びられてよかったね』的研究者でして、いいかえれば、今、あるいはこれからの世の生物系実験研究者ボリューム層が経験する『標準的現実』に散々直面した後に今に至ったヒトなのです。というわけで、私の目から見た分析が、何かの参考になれば幸いです。

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仕事として研究をする場、としては、大学・公立研究所・営利企業が上げられるわけですが、研究機関が違えば、当然、仕事の色合いも違ってまいります。

 まず、大学の学部・研究科であれば、普通であれば一番多いのは、学生さん、で、上記の定義に従えば、『研究者』は教官と技術系職員です。活動としては、研究、にくわえて、研究を推進するに必要な手技的・知的技術の教育というのが、大きな柱になります。学生さんは、ある程度の年数で卒業・修了していなくなってしまいますが、教官・技術系職員は常駐していますね。研究テーマは、原則的にグループ(自由度が高い場合には各メンバー)の自由といっていいでしょう。ただし、好きなことを好きなように研究する代わりに、当然、その資金は外部から獲得してこなければなりません。

 次に、公立研究所で研究に携わる人をみた場合、一番多いメンバーは、博士号を何らかの形で取得した人。今では減ってきているようですが、修士号を取って、このような機関に就職して、就職後に論文博士という形で学位を取得するというのもありえます。また、公立研究所で多いのは、長い目で見て実用に結び付けられる研究を、国や地方自治体からの予算で行う、といったもの。予算を外部から獲得する必要は、あまりない(多少はある)。テーマは、理学というよりは農学・水産学・医学寄り、つまり『人々の役に立つことを!』、というのが多いですね。好きなことをやっていいよ、というよりも、『ミッション』という枠が存在します。

 厳密には、公立研究所、という枠からは外れますが、非営利目的の独立法人としての研究所も存在しますね。日本においては、理化学研究所がその代表格でしょう。こちらはアカデミックな研究を行っており、予算も人材もトップクラス。日本でも有数の最先端研究が行われている場であり、また、若手からシニアまで、優秀な研究者がそろっています。とはいえ、国=文科省の発言力・影響力は大変大きいようで、トップダウンの組織改変が相次いだ時期もあり、いろいろ大変そうです。

 で、うってかわって営利企業の研究所。私が知る限りでは修士号を取得して、就職する人がおおいようです。で、営利目的の研究(つまりは、製品開発)と刷り合わせて、特許出願だの企業への守秘義務だのに抵触しない形で論文を発表できれば、それを元に論文博士という形で博士号を取得することも可能。もちろん、大学院で博士号を取得した後に、企業に就職して研究する、という道もあります(最近増えてきているようです)。研究のテーマは、当然企業の利益に結びつくことを追求し、予算は、会社が出す・・・・つまり、研究者が外部から予算を獲得する必要はナシ。一方、利益に結びつくような結果が出せなければ、ばりっとテーマ自体がリストラされて、はい、来週から違うテーマについてくださいね、ということがありえる。経営がしっかりしている企業ほどそういう面が強いといっていいでしょう。

 まれに非営利私立研究所がありますが、これは、実学志向だったりそうでもなかったり。運営者のポリシーによると思います。実は、日本のこの手の研究所の内幕というものを、私はまったく知りません。米国にいた時に、このような研究所を二つばかり、じっくり見学させていただく機会がありましたが、資金が潤沢で、運営も合理的で小回りが利き、と、いいとこ尽くめ。働いている研究者が若手からシニアまで相当幸せそうでした。当然、大変優秀な研究者ばかりがそろっていて(人気が高いのでそういう人じゃないと採用してもらえない)、ううん、雲の上の世界を垣間見せていただきました!という感じでした。

 さて、上の分類とは別に、研究をして給料を取っている人間の間に、別の分類があります。『年限つき』か、『終身』か。
 終身雇用制というのは、日本のどの分野を見ても崩れつつありますが、その傾向は、研究者の世界では特に著しいと思います。そもそも終身雇用を歌った募集というのがかなり少ない。
 替わって多くなってきた雇用形態のひとつは『ポスドク』=postdoctoral fellowです。これは、学位をとった(post-doctoral)人間、つまり、若い研究者のための年限つきポスト。3年間、とか5年間、という決まった年数で、誰かボスの下で、そのボスのプロジェクトの一端を担った研究をし、その実績を積む(=自分の名前の入った論文を発表する)ことで最終的には終身雇用の職にありつこう、という、いわば『過渡的立場』。企業には少ないですが、そのほかの研究機関で、ここ20年ぐらいの間に、劇的に増加しました。このポスドクの増加、というのが、最近は、高学歴の割には低めの収入な上・不安定な身分ということで、問題だと認識されはじめているようです。

 私自身も長~いことこの立場であったのですが、ことに、日本の場合には、企業での中途採用というのが広く開かれている道ではないために、ポスドクになる=博士をとって2-3年でも経過してしまうと、企業への就職が難しくなり、また、公的研究機関のポジションも、それほど広く公募されているようにも思えない、というあたり、ポスドク=『学位を持っているだけではなく、経験値をあげて研究能力をつけた若年研究者』の多くが、その能力を持ちながら漫然とあまりゆく素地を作っている、といえるかもしれません。とにかく、年限つきの身分にある人間に比べ、その能力を生かすことが出来る安定した雇用を約束するポジションが少ないために、なかなかポスドク以外になれない、という傾向が顕著です。

 誰もが、年限つきの職よりは終身雇用の職につきたいわけですし、とくに日本は伝統的に終身雇用が『保証』されていた感の強いお国柄、大企業でもあえなく業績悪化・リストラ、にもかかわらず果ては吸収合併あるいは会社更生法申請、あるいは公務員のサラリーが軒並みカット、なんていうことがままある今日日でも、長らくポスドクでいるのはやはり切ない気分にさせてくれるものだと思います。

 というわけで、多くのポスドクは、ステップアップ=終身雇用の、あるいはそれにつながるポジションを得ることを目指すわけですが、たぶん、今の時点では一番『開かれた』このテの職の応募先は、大学の教官であろうと思います。給料は高くはないけれど、安定しているし、研究テーマ、自由だし。何々大学で教えています、といえば、聞こえはいいし。というわけですが、これにもいろいろありまして。
 ・・・・長くなりましたので、来週に続きます。
 
 

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