2014年9月12日金曜日

この夏、楽しかったこと

 先日、大学院をでたばかりの若い研究者と、今後一緒に働けたらいいね、と、プロジェクトを立案して、さる研究助成に応募しました。7月初めに、読むべき論文を何本かお渡しして、こんなことをやってみたら面白いかも、というぼんやりした枠組を最初におはなしし、さて、立案開始。

 あちらは、ヘテロシグマは、触ったことが無い人。
 こちらは、ぼんやりしたアイディアはあるけれども、それをまとめるところまで持って行っていない人。

 ほとんど面識のない人と、そもそもぼんやりしたアイディアのかけらについて意見を交換し、最終的には研究計画書にまとめあげたわけです。

 考えてみれば、研究計画を練る=研究費の申請書を書く、という活動って一人でしがちなものです。私についても、練って書き上げるところまでは一人で済ませた後、共同研究者に意見を求める、というかたちでやってきた訳です。
 脳みそ二つをもちよって、計画の枠組みを決めて練り上げて最終的な文章にする、という道筋を、すべて共同で、というのは、本当に始めて。

 ……だったのですが、この過程が、すごく楽しかった!1ヶ月たらずの間の交換したメール計画を練り上げるための添付書類をつけたものだけで50往復。最初はぼやっと『面白そうだよね』という程度の形だったものが、最後のメール5往復で、急激に『研究計画書』の形に立ち上がって行くのは、共同作業だから余計に印象的でした。

 鍵はやはり、密な会話=debateでしょうか。
 研究計画は一人でも練れる、ひとりdebateすればよい……が、当たり前ながら、興味を持った生身の人間と会話を交わす方が数倍楽しいものでした。

 このdebate、私自身とても学ぶところがありましたが、タブン、誰かと一緒に練り上げる、というのが一番役に立つのは、『研究計画』を始めて書く人、つまり学生さんですね。
 学部・大学院を通して博士号をとるまで、研究のうちでも、『実験して、された質問(提示された仮説)に答えを見つける』、という活動はたくさんしますね。学生時代には、所属講座の教官が既に研究計画を持っており、それを、学生さんが各自の創意工夫で実行して行く、という形が多いわけです。一方で、研究計画、というのは、『そもそもの仮説を提唱し』、『必要な実験を幾つか組み合わせて、仮説を証明する道筋をつける』ためのもの。学生時代には、この部分を自分で行う訓練は、ほとんど受ける機会がないわけです。
 でも、最近になって、殊に『有為な質問を見つける』能力は、研究者として生き残るために不可欠な要因だという気がしています。

 この能力をわかりやすい形の訓練で身につけることができるかどうか、は、微妙。でも、質問を見つけるためには、たぶん、情報とアイディア交換のための密なdebateがとても助けになり、この夏私たちがかわした100通以上のメールでは、それがうまくできていたわけですね。

 たまたま一回うまくいっただけでしょ、と云われると、うもすもありませんが、このやり取りは本当に楽しくて、味をしめてしまうに充分でした。

 大学院にいこうかな、と考えている学生さん、うちにきて早いうちから一緒にScientific debate満載で研究計画をたてませんか〜〜?実験はもちろん面白いもので、大切にちがいありませんが、研究計画を立てるって云う部分、学ぶのを後にとっておくのがもったいない楽しさがあります。科学するとは、『仮説をたて』『それを証明する』繰り返しによって真実を探求する、ということ。仮説を立て、の部分から始めないと、醍醐味の半分ぐらい取り落としている格好になります。まっさら白紙の状態から、ああだこうだとやり取りして、最終的にはビシっと決まった『研究計画』の形に書き上がったときの快感って、ほかではなかなか味わえないです。(ま、快感を持って書き上がっても、審査がキビシく落とされることは大いにありえます。それはそれ、として。笑)。
 そもそも、このブログ、学生さんへの宣伝のために始めたのです。久しぶりに宣伝文句を書いてみました。

 
 





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