はっと気が付いたら、なんと2月も最終日。
一年の15%が終わったことになります。早い!
先週書いたように、大学では物品購入に多少不便が感じられるシーズンです。新しい試薬や消耗品を買わなければならないような新しい実験をするのも、ちょっと身構える季節。たまたま、今は、さっさとまとめてしまおうとしている論文2報の仕上げにかかっているところで、ちょこちょこっと実験を足して文章を書いておしまい、というのは便利なタイミングだったかもしれません。
・・・・・とはいえ、このちょこちょこっと、というのが問題で。
私については、「よし、これでこの仕事8割がた終わった」とおもってから、残りの2割を「つめる」のに果てしなく時間がかかります。
自分が書いた文章を読み直し書き直し、図表をチェックし、文献を張り付ける。満足いくまで何度も何度も見返すのですが、そのたびに細かいことに気が付いて、いつまでたってもきりがない感じ。
今までは、自分の上にボスがいた『雇われ』の身だったので、95%まで詰めたかな、とおもったら、ボスに投げてしまう、という手もあったのですが、めでたく独立の身となった今、そういう甘えは許されません。
許されないんだぞ・・・・・・と思いながら、今回初めて100%まで自分で詰める立場で書き物をして感じたこと。
・・・・・・・・・・・・・・・楽しいな。
英文で言いたいことを正確に伝えられる文章を書く、というのは、散々米国に長居をしたのに、私にとってはいまだに苦手感のある作業です。後で、査読の際に入るツッコミも予想しながら穴がない(あるいは意識的に穴をあけたりして)文章を練り上げる、というのがはいると、もっと大変。今までは、途中までは楽しいかな、と思って書いていても、最後の20%に差し掛かると、途端に息が上がって来るのが私の常でした。
なので、この楽しさは本当に意外。
論文としては、大変シンプルな内容のものなので、そんなのんきなことを言っていられるのでしょうが、文章書きの名手=どんなに頑張って書いてもすべての行に直しを入れて文章をブラッシュアップしてくださるボスの下に長居をさせてもらったからこそ、『好きに論じる自由』を初めて満喫しています。
これのためなら、確かに『研究者の生活環』の甲斐、ありますね。
岡山大 資植研 萌芽・学際新展開G公式ブログです。 毎週、私たちがどのような仕事をしているか、大学で研究するというのはどういう生活なのかをお知らせしていこうと思います。 どうぞよろしくお願いします。
2014年2月28日金曜日
2014年2月21日金曜日
年度末が近付いています
今週は、出張3日間+シンポジウム半日と、あまり実験ができませんでした。
いつもの2月よりも寒い日が続くのに、あと1ヶ月ちょっとで新年度なのかぁ、という感慨があるのですが、毎年のルーチン事項に加えて加えて、当研究所は、来年度は大規模な増改築を行うこととなりました。これも新年度に入ったらスタートします。
現在は、この増改築部分にいる人たちの工事中の落ち着き先を決めるべく調整が進んでおりますが、実は私たちの居室と実験室は、すっぽりと増改築部分に入っているため、まさに大移動の必要が。
・・・・・とはいえ、開闢2年半の小さな研究室、引越しは一番楽。なはず。
・・・・・・・・・・・・・小さな研究室、というのは、つまり人手もたりないわけですが、ま、それはさておき(考えると面倒になることは、すべてさておく習慣です)。
いったんはじめれば、落ち着きの悪い仮住まいがしばらく続きます。とはいえ、増改築が完了すれば、設備内装が一新する上に、床面積もぐんと広くなる!と考えてとわくわくしています。
千葉県に出張だったのですが、終了予定の水曜日に太平洋側広い範囲に雪の予報が出ており、すわ、足止めか?とひやりとしましたが、雪が降ることもなく無事に帰ってきました。
さすがに3週連続大雪に降られたら困ってしまいますね。
さて、年度末が近付いています。
日本に帰ってきて驚いたことの一つが、この、『年度末』の重要さ。
特に物品購入がかなり制限されてしまうため、前もってある程度の心づもりが必要です。
当大学は、消耗品の納品は原則3月7日まで。1か月近く、『原則納品ができない』機関があるわけです。もちろん、どうしても困るものは多少大目に見てはいただけますが、逆に『備品』として大学に管理番号をもらうことになる10万円以上の物品は、今月末までに購入しなければなりません。
米国の大学では、この年度切り替えのための不便というのは特になかったような気がします。
不便というのがちょっとでもあると、すぐに建設的ボイコットに入る彼の国ならではのシームレスな年度変わり目だった・・・・・・のかもしれません。
米国の大学では、この年度切り替えのための不便というのは特になかったような気がします。
不便というのがちょっとでもあると、すぐに建設的ボイコットに入る彼の国ならではのシームレスな年度変わり目だった・・・・・・のかもしれません。
もう一つ、4月1日、つまり新年度第一日目には、科学研究費補助金の申請結果が発表されます。次の年度の明暗はここで別れるため、ドキドキです。発表がエイプリルフールというあたりがニクイ。
いつもの2月よりも寒い日が続くのに、あと1ヶ月ちょっとで新年度なのかぁ、という感慨があるのですが、毎年のルーチン事項に加えて加えて、当研究所は、来年度は大規模な増改築を行うこととなりました。これも新年度に入ったらスタートします。
現在は、この増改築部分にいる人たちの工事中の落ち着き先を決めるべく調整が進んでおりますが、実は私たちの居室と実験室は、すっぽりと増改築部分に入っているため、まさに大移動の必要が。
・・・・・とはいえ、開闢2年半の小さな研究室、引越しは一番楽。なはず。
・・・・・・・・・・・・・小さな研究室、というのは、つまり人手もたりないわけですが、ま、それはさておき(考えると面倒になることは、すべてさておく習慣です)。
いったんはじめれば、落ち着きの悪い仮住まいがしばらく続きます。とはいえ、増改築が完了すれば、設備内装が一新する上に、床面積もぐんと広くなる!と考えてとわくわくしています。
2014年2月14日金曜日
大雪!
2月7日から8日にかけて太平洋側は広い範囲で大雪でしたね。
岡山も、そしてもちろん倉敷もふりました!
土曜日だったので、朝寝坊しておきてみたら、うわぁ!!という感じ。
以前は米国もニューヨーク州の南端に住んでおり、冬の間に30センチ以上は積もることが数度、に慣れ親しんではいたのですが、考えてみたら、倉敷にはそんな雪は降らない=雪への備えがない。
当然ながら、道路に積もった雪はそのまま・・・・・・に軽く呆然としてしまいました。
午後には晴れ間も見えたので、どちらにしてもしなければならない仕事をしに研究所にやってきたところ、窓からの景色はご覧のとおり。
岡山も、そしてもちろん倉敷もふりました!
土曜日だったので、朝寝坊しておきてみたら、うわぁ!!という感じ。
以前は米国もニューヨーク州の南端に住んでおり、冬の間に30センチ以上は積もることが数度、に慣れ親しんではいたのですが、考えてみたら、倉敷にはそんな雪は降らない=雪への備えがない。
当然ながら、道路に積もった雪はそのまま・・・・・・に軽く呆然としてしまいました。
午後には晴れ間も見えたので、どちらにしてもしなければならない仕事をしに研究所にやってきたところ、窓からの景色はご覧のとおり。
久しぶりに(ほぼ)銀世界!
こういう時に、広い圃場っていいですね(笑)。
1週間たった今も、まだところどころ雪が残っていますが、なんと今週末も雪の予報が出ていますね・・・・・。
2014年2月7日金曜日
"書くこと" 雑考
STAP細胞の論文発表に沸いた一週間でしたね。
既に1週間たっていろいろな話が出きったところで、私などが付け加えることは何もないのですが、STAP細胞確立の方法の着想から論文発表までの道のりは、良質なドラマと凄い・素晴らしい人物が詰まった話だったなぁ、と思います。
私が行きあたった中で特に興味を持った二つの記事、一つは新聞、一つはブログ。ぜひぜひ読んでみてください。
面白い、ということにくわえて、これらの二つの文章は、ともに『固い』『地味』と引き換えに、情報量が多いく、わかりやすい。ともに科学に関わる人々が語り手・著者なわけですが、よくいう『理系』人間として生きている人たちは、『文学的』ではないが、自分が見聞きした事象をわかりやすく言語化し、それを受け取り手に伝える訓練はされているんです。
こういう、地味で歯ごたえが硬い文章を、この件ではもっと読みたかったなぁ…。今回は、仕事の中心となった研究者が若い女性だったことから、特に発表直後は小保方博士の人となりへの興味に偏った記事が多すぎました。
多くの新聞で『小保方博士は・・・・誇らしげに30分にわたって発表した』とか、『枕を涙でぬらす夜も』・・・・などなどの表現が見られましたが、テレビでの録画を見る限り、誇らしげというよりは、非常に謙虚な方にお見受けしました。30分にわたって研究成果を発表したのならば、新聞は、その内容をしっかり書いてくれた方が面白いのになぁ。この研究発表30分には、好きな色も割烹着も入っていなかったでしょうし。
『枕を涙で・・・・』も、世紀の大発見についての第一報である新聞で読む言葉でもない。1週間後に出た週刊誌ならばまだわかりますが。
新聞から読者が得たいのは『確かな情報』。情緒的色付けは、受け取った情報に基づいて当方でいたしますので、どうぞお構いなく、と思うのです。
・・・・思うに、この情緒過多・事実欠乏記事と報道の数々、実は日本における作文教育=『読書感想文』であることの影響なんじゃないかなぁ・・・・・・などとも。
日本の学校教育、特に義務教育で、たぶん唯一の文章を書くトレーニングは夏休みの宿題、『読書感想文』だった気がします。あれ、読書した『感想』を書きなさい、と言われるんですよね、あらすじの説明などは一切なく。
『感性』は、もちろんとても大切です。
でも、残念ながら、読書感想文では事実を要領よく伝える、という最低限のコミュニケーション能は育たない・・・・・・。そして、社会に出て絶対に必要とされる、物事をわかりやすく最低限の言葉で説明する=説明文を書く、という教育は、実は大学に入ってもほとんどされない。
私が知る限りでは、大学院も修士課程に入ってから初めて文章を書いて事実=研究結果を伝達しようという教育を受ける、という人は多いようです。
新聞記者って、やっぱりいわゆる『文系』の人が多いから、情緒の勝った文章になる、とか??でも、文系だろうが理系だろうが、学校で教えるような『学問』は論理で構築されているわけで。どちらにしたって、論理的文章で事実を伝達する必要は絶対あるはずなのになぁ。
というよりも、私の頭の中にはずっと、理系・文系という学問における区切りって、なんかヘン、ということと、『説明文を書く』教育を義務教育でするべきだよね、というのがあるのですが、そこに都合よく、STAP細胞『報道』あれこれが引っ掛かってしまったのでした。
とにかく、最初の記事2本、おすすめです。
特にブログの記事、小保方博士の『研究における感性』についてのお話が載っています。これ、感動したし、わが身を反省しました・・・・。というわけで、是非どうぞ。
既に1週間たっていろいろな話が出きったところで、私などが付け加えることは何もないのですが、STAP細胞確立の方法の着想から論文発表までの道のりは、良質なドラマと凄い・素晴らしい人物が詰まった話だったなぁ、と思います。
私が行きあたった中で特に興味を持った二つの記事、一つは新聞、一つはブログ。ぜひぜひ読んでみてください。
面白い、ということにくわえて、これらの二つの文章は、ともに『固い』『地味』と引き換えに、情報量が多いく、わかりやすい。ともに科学に関わる人々が語り手・著者なわけですが、よくいう『理系』人間として生きている人たちは、『文学的』ではないが、自分が見聞きした事象をわかりやすく言語化し、それを受け取り手に伝える訓練はされているんです。
こういう、地味で歯ごたえが硬い文章を、この件ではもっと読みたかったなぁ…。今回は、仕事の中心となった研究者が若い女性だったことから、特に発表直後は小保方博士の人となりへの興味に偏った記事が多すぎました。
多くの新聞で『小保方博士は・・・・誇らしげに30分にわたって発表した』とか、『枕を涙でぬらす夜も』・・・・などなどの表現が見られましたが、テレビでの録画を見る限り、誇らしげというよりは、非常に謙虚な方にお見受けしました。30分にわたって研究成果を発表したのならば、新聞は、その内容をしっかり書いてくれた方が面白いのになぁ。この研究発表30分には、好きな色も割烹着も入っていなかったでしょうし。
『枕を涙で・・・・』も、世紀の大発見についての第一報である新聞で読む言葉でもない。1週間後に出た週刊誌ならばまだわかりますが。
新聞から読者が得たいのは『確かな情報』。情緒的色付けは、受け取った情報に基づいて当方でいたしますので、どうぞお構いなく、と思うのです。
・・・・思うに、この情緒過多・事実欠乏記事と報道の数々、実は日本における作文教育=『読書感想文』であることの影響なんじゃないかなぁ・・・・・・などとも。
日本の学校教育、特に義務教育で、たぶん唯一の文章を書くトレーニングは夏休みの宿題、『読書感想文』だった気がします。あれ、読書した『感想』を書きなさい、と言われるんですよね、あらすじの説明などは一切なく。
『感性』は、もちろんとても大切です。
でも、残念ながら、読書感想文では事実を要領よく伝える、という最低限のコミュニケーション能は育たない・・・・・・。そして、社会に出て絶対に必要とされる、物事をわかりやすく最低限の言葉で説明する=説明文を書く、という教育は、実は大学に入ってもほとんどされない。
私が知る限りでは、大学院も修士課程に入ってから初めて文章を書いて事実=研究結果を伝達しようという教育を受ける、という人は多いようです。
新聞記者って、やっぱりいわゆる『文系』の人が多いから、情緒の勝った文章になる、とか??でも、文系だろうが理系だろうが、学校で教えるような『学問』は論理で構築されているわけで。どちらにしたって、論理的文章で事実を伝達する必要は絶対あるはずなのになぁ。
・・・・・・・・・・・・・・・・って、最初の話題から横っ飛びし過ぎ(笑)?
というよりも、私の頭の中にはずっと、理系・文系という学問における区切りって、なんかヘン、ということと、『説明文を書く』教育を義務教育でするべきだよね、というのがあるのですが、そこに都合よく、STAP細胞『報道』あれこれが引っ掛かってしまったのでした。
とにかく、最初の記事2本、おすすめです。
特にブログの記事、小保方博士の『研究における感性』についてのお話が載っています。これ、感動したし、わが身を反省しました・・・・。というわけで、是非どうぞ。
2014年1月31日金曜日
コマッタ困った・・・・
地味に幸先の良いスタートを切ったかな、と思った今年ですが、あれれ、月末にかけて運気下降気味(?)
例えば電気泳動に必要な器具とか、プラスチック消耗品も、一部は日本の会社が製造しているものがあるのですが、米国にいったときに、これらがものすごく懐かしかったのです。タンパク質用の電気泳動槽、液漏れしない。チューブはぴちっと閉まるし。ピペットマンのチップ、ホント液切れいいし。
これがなければ実験できない、という、大変便利な機器があるのですが、どうも、年末からこれの調子が悪かった。
これは修理しかない、と、修理に出してみたところ、先方の反応悪し。
この機器は、米国に製造元があって、輸入しているのですが、そもそもの製造元が大変小さな会社なので、当然日本の中に支社などあるわけもなく。
国内の輸入元会社に送り返しても、結局何が悪いのかわからずに、私たちの大切な相棒は、製造元の米国に送り返されてドック入り(?)となりました。1か月は入院だそうです。
こういう、製造元の技術者が日本国内にいてくれない機器って、ほんと、困ります。
動いている時に便利だった分、不満がふつふつと・・・・・。
結局、すったもんだの末、さらに新品をおろして代替機として出していただくことで一時的解決を見ました。(……この時のすったもんだの交渉は、米国にいた時の家主さんだの車屋さんだのとの交渉を思い出すような、なかなか力ずくのものでした。)
それにしても。
日本って、技術立国のはずが、このような生命科学の研究機器についてはなぜ常に後れを取るのでしょう。こういうもの、日本の会社が頑張って作ってくれたら、絶対売れるのになぁ!儲かるだろうになあ!!といつもおもいます。
プラスチック消耗品まで、他国の製品をわざわざ輸入して、すべての機器・消耗品に、米国にいた時の2割5分ましは払っている。こういうことを、例えば国内の製薬会社がやっていたら、そりゃあ海外との新薬開発競争には勝てないよなぁ・・・・・・。
例えば電気泳動に必要な器具とか、プラスチック消耗品も、一部は日本の会社が製造しているものがあるのですが、米国にいったときに、これらがものすごく懐かしかったのです。タンパク質用の電気泳動槽、液漏れしない。チューブはぴちっと閉まるし。ピペットマンのチップ、ホント液切れいいし。
日本にいたら当たり前の、「きちっと閉まる・締まる、水漏れしない」は、米国ではかなり珍重される現象なのです。隙間風は当たり前だし、私が入居したすべてのアパートで、台所シンクの下のP字管、必ず漏れました。これ、ほんと。
日本の貿易赤字が黒字が…という話が出ると、必ず出てくる技術立国、とか技術革新、とかいう言葉。わざわざ新しくがんばらなくても、あるものをうまくマーケティングするだけで違うんじゃないかなぁ、などと、妙な方向に頭が行ってしまった一週間でした。
2014年1月24日金曜日
Bananaバナシ Part II
以前、論文の査読の話をいたしました。
論文を投稿すると、その論文の内容が学術論文として発表されるにふさわしいものかどうかを審査するために、『査読』というステップが入ります。査読は、論文を掲載する学術雑誌の編集部が、その分野に詳しいと思われる外部研究者に依頼することで始まるのですが、査読に対する謝礼はなし。つまり、学術雑誌の論文審査は、まるきりのボランティアによって営まれている、という話。
これも結構驚きだと思うのですが、先日友人と話していて出てきた話題。
『学術雑誌に論文が掲載されると、謝礼はどのぐらい支払われるの?』
ある意味、もっともな質問です。だって、研究者は『論文を発表するために』すべての仕事・・・・少なくとも、すべての研究関連業務・・・・をしているのだから。すべての社会人は、給料もらうために仕事してるんだよね??
でも、答えはまったくの逆。
学術雑誌に論文が掲載されることに決まったら、投稿者が『掲載料』を払うんです。
学術雑誌に論文が掲載されることに決まったら、投稿者が『掲載料』を払うんです。
雑誌にもよりますが、大体1000~3000米ドルぐらいが相場かな?
学術雑誌が継続していくためには、当然ですが、収入と支出が釣り合わなければなりません。
フツーの雑誌であれば、収入は、雑誌の売り上げと広告料。
学術雑誌って、実物を見たことがある人ならばわかると思いますが、地味。広告、少なし。しかも、最近は雑誌そのものを購入しなくても電子版をダウンロードすることで入手可能、ということは、広告が載っていても見る機会は少ない。当然、広告主としては、高いお金を払って広告を出す気にはなりませんね。
そもそも、研究者が学術雑誌に論文を発表するのは、極言すれば『自分がそうしたいから、そうする必要があるから』。普通の雑誌は、購入者の必要にターゲットを絞って作られますが、学術雑誌は、購入者(これも研究者)の必要と同じぐらい、いや、それよりもむしろ書き手側の必要性が高いと言っても過言ではない。というわけで、雑誌社が収入源を求めるとすれば・・・・・・普通の雑誌と同じ発想では物事は運ばない。学術雑誌の運営コストは、購入側よりもなんと執筆・発表側に回ってくるということに相成っているわけです。
論文を書く、というのは、当然私もやってまいりました。書いた論文が査読を通り、掲載、となったらお祝い気分全開、でおしまい。
で、幾度もそういう経験をして、めでたくPrincipal Investigatorとなって、あらためて気が付いた。
♪ ♪ ♪ 論文は、出せば出すほどお金がかかるのですね ♪ ♪ ♪
今、これまでの仕事のあれとこれをまとめて書き上げるという、研究者としては望ましい段階に来ておりますが、自分が投稿したい雑誌の『掲載料』を調べて、びっくり。
…今、書こうといる論文たちが、望みどおりの雑誌各紙に掲載されたら、現在の円ドルレートで100マンエン近くが掲載料に飛んでいく……。
ところで、この、掲載料。
私が学生の時には、査読がとおったら、最終版の本文と図表を雑誌の規程に従って厳密に完成させたものを雑誌社に送ると、プロがページごとを写真撮影するような手数を踏んで版組にくんでくれることで、初めて最終稿が完成。校正をうけて、OKを出したら印刷・製本されて手元に届く、というものでした。
でも、最近は、Desktop publishing技術が進歩して、すべてがコンピューター上でできるように。工程時間もぐんと短くなったのは、かかる手数も技術も少なくなったから……なのに、掲載料は下がらないよ??
このあたりには、いろいろ面白い話があるのですが、それにしても、
大学における研究者の生活環とは、『研究を始めるためには、研究費が必要。なのでアタマ絞って申請書書いて、研究費を獲得して、研究スタート。爪に火をともすみたいに研究を進め、結果が出たのでないので一喜一憂。さらに頭を絞って論文をまとめ、査読に回ってけなされるのにもめげずに、実験し直し書き直し、めでたく論文受理。(で、見つけた新しいネタで新しい研究を・・)』・・・・と、以前書きました。
ここで、論文受理後に掲載料が必要・・・・・となると、
(いってみれば、)論文を学術雑誌に掲載=掲載料をはらうことを目標に、研究をするために、研究費をとるために、1年数か月前のワタクシは申請書を書いていたわけか・・・・・
自分のしていることながら、奇妙な感慨に浸ってしまいます。
今になってみると、掲載料の請求書を見るたびにupsetしていた元ボスの気持ちがじつによくわかる(笑)。
今になってみると、掲載料の請求書を見るたびにupsetしていた元ボスの気持ちがじつによくわかる(笑)。
しかたない。早いところ論文通そう、円安が進まないうちに!
2014年1月17日金曜日
Divide and Conquor
『分割したのち統治せよ』、と、歴史の時間に倣ったような気がします・・・・・たぶん、もともとラテン語だったものでしょうね。
紀元前から植民地時代を通しての、為政者共通ストラテジー、冷血・・・・と思っていたのですが、
Divide and Conquor=『困難は分割せよ』
といわれると、おや、本質的には同意でも、気分が違ってくる。
そう、むずかしいことは、小さな課題に分割して、それをひとつひとつこなしていけばよいんですよね。誰でもやっていることだし、今はやりの仕事術モノでよく見る表現だったりします。
Divide and Conquorは論文を書くときにいつも思い出す表現です。考えてみれば、大学院卒業してすでに15年以上がたつのに、いまだに私にとっての論文書きは『困難』なわけだ。
ま、最初のころは、いったいどこから手を付けていいかわからないほどの困難、だったのが、最近は、分割の仕方を頭をひねって考える困難、程度に落ち着いてきました。
考えてみれば、論文を書くのは、読んでもらいたいから。ということは、当然読みやすく書かなければならない。面白いことに、読みやすくかこう、と思って構成を考えると、書きやすくなるのに気が付いたら、ちょっと分割方法の決め方が楽になったかな・・・・。
文章構成とはべつに、ここ10年ぐらいで決定的に楽になったのは、『英語で書く』ことですね。昔は辞書とシソーラスを引き引き書いていたのが、いまではウェブ版英辞郎とシソーラス。前置詞の使い方で迷ったら、文章の一部分をGoogleに入力して検索して、沢山出てくる方が正しい表現、とか。
などとぶつぶつ言っているのは、そろそろ仕事の一部分をまとめようと書き物を始めているから。亀の歩みなれど少しずつ形が出来上がっていくのは、やっぱりこの仕事の醍醐味だったりします。
紀元前から植民地時代を通しての、為政者共通ストラテジー、冷血・・・・と思っていたのですが、
Divide and Conquor=『困難は分割せよ』
といわれると、おや、本質的には同意でも、気分が違ってくる。
そう、むずかしいことは、小さな課題に分割して、それをひとつひとつこなしていけばよいんですよね。誰でもやっていることだし、今はやりの仕事術モノでよく見る表現だったりします。
Divide and Conquorは論文を書くときにいつも思い出す表現です。考えてみれば、大学院卒業してすでに15年以上がたつのに、いまだに私にとっての論文書きは『困難』なわけだ。
ま、最初のころは、いったいどこから手を付けていいかわからないほどの困難、だったのが、最近は、分割の仕方を頭をひねって考える困難、程度に落ち着いてきました。
考えてみれば、論文を書くのは、読んでもらいたいから。ということは、当然読みやすく書かなければならない。面白いことに、読みやすくかこう、と思って構成を考えると、書きやすくなるのに気が付いたら、ちょっと分割方法の決め方が楽になったかな・・・・。
文章構成とはべつに、ここ10年ぐらいで決定的に楽になったのは、『英語で書く』ことですね。昔は辞書とシソーラスを引き引き書いていたのが、いまではウェブ版英辞郎とシソーラス。前置詞の使い方で迷ったら、文章の一部分をGoogleに入力して検索して、沢山出てくる方が正しい表現、とか。
などとぶつぶつ言っているのは、そろそろ仕事の一部分をまとめようと書き物を始めているから。亀の歩みなれど少しずつ形が出来上がっていくのは、やっぱりこの仕事の醍醐味だったりします。
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