論文を投稿すると、その論文の内容が学術論文として発表されるにふさわしいものかどうかを審査するために、『査読』というステップが入ります。査読は、論文を掲載する学術雑誌の編集部が、その分野に詳しいと思われる外部研究者に依頼することで始まるのですが、査読に対する謝礼はなし。つまり、学術雑誌の論文審査は、まるきりのボランティアによって営まれている、という話。
これも結構驚きだと思うのですが、先日友人と話していて出てきた話題。
『学術雑誌に論文が掲載されると、謝礼はどのぐらい支払われるの?』
ある意味、もっともな質問です。だって、研究者は『論文を発表するために』すべての仕事・・・・少なくとも、すべての研究関連業務・・・・をしているのだから。すべての社会人は、給料もらうために仕事してるんだよね??
でも、答えはまったくの逆。
学術雑誌に論文が掲載されることに決まったら、投稿者が『掲載料』を払うんです。
学術雑誌に論文が掲載されることに決まったら、投稿者が『掲載料』を払うんです。
雑誌にもよりますが、大体1000~3000米ドルぐらいが相場かな?
学術雑誌が継続していくためには、当然ですが、収入と支出が釣り合わなければなりません。
フツーの雑誌であれば、収入は、雑誌の売り上げと広告料。
学術雑誌って、実物を見たことがある人ならばわかると思いますが、地味。広告、少なし。しかも、最近は雑誌そのものを購入しなくても電子版をダウンロードすることで入手可能、ということは、広告が載っていても見る機会は少ない。当然、広告主としては、高いお金を払って広告を出す気にはなりませんね。
そもそも、研究者が学術雑誌に論文を発表するのは、極言すれば『自分がそうしたいから、そうする必要があるから』。普通の雑誌は、購入者の必要にターゲットを絞って作られますが、学術雑誌は、購入者(これも研究者)の必要と同じぐらい、いや、それよりもむしろ書き手側の必要性が高いと言っても過言ではない。というわけで、雑誌社が収入源を求めるとすれば・・・・・・普通の雑誌と同じ発想では物事は運ばない。学術雑誌の運営コストは、購入側よりもなんと執筆・発表側に回ってくるということに相成っているわけです。
論文を書く、というのは、当然私もやってまいりました。書いた論文が査読を通り、掲載、となったらお祝い気分全開、でおしまい。
で、幾度もそういう経験をして、めでたくPrincipal Investigatorとなって、あらためて気が付いた。
♪ ♪ ♪ 論文は、出せば出すほどお金がかかるのですね ♪ ♪ ♪
今、これまでの仕事のあれとこれをまとめて書き上げるという、研究者としては望ましい段階に来ておりますが、自分が投稿したい雑誌の『掲載料』を調べて、びっくり。
…今、書こうといる論文たちが、望みどおりの雑誌各紙に掲載されたら、現在の円ドルレートで100マンエン近くが掲載料に飛んでいく……。
ところで、この、掲載料。
私が学生の時には、査読がとおったら、最終版の本文と図表を雑誌の規程に従って厳密に完成させたものを雑誌社に送ると、プロがページごとを写真撮影するような手数を踏んで版組にくんでくれることで、初めて最終稿が完成。校正をうけて、OKを出したら印刷・製本されて手元に届く、というものでした。
でも、最近は、Desktop publishing技術が進歩して、すべてがコンピューター上でできるように。工程時間もぐんと短くなったのは、かかる手数も技術も少なくなったから……なのに、掲載料は下がらないよ??
このあたりには、いろいろ面白い話があるのですが、それにしても、
大学における研究者の生活環とは、『研究を始めるためには、研究費が必要。なのでアタマ絞って申請書書いて、研究費を獲得して、研究スタート。爪に火をともすみたいに研究を進め、結果が出たのでないので一喜一憂。さらに頭を絞って論文をまとめ、査読に回ってけなされるのにもめげずに、実験し直し書き直し、めでたく論文受理。(で、見つけた新しいネタで新しい研究を・・)』・・・・と、以前書きました。
ここで、論文受理後に掲載料が必要・・・・・となると、
(いってみれば、)論文を学術雑誌に掲載=掲載料をはらうことを目標に、研究をするために、研究費をとるために、1年数か月前のワタクシは申請書を書いていたわけか・・・・・
自分のしていることながら、奇妙な感慨に浸ってしまいます。
今になってみると、掲載料の請求書を見るたびにupsetしていた元ボスの気持ちがじつによくわかる(笑)。
今になってみると、掲載料の請求書を見るたびにupsetしていた元ボスの気持ちがじつによくわかる(笑)。
しかたない。早いところ論文通そう、円安が進まないうちに!
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