2013年8月16日金曜日

それってつまり・・・・・(これも一種の出羽の守バナシ)

 今回は 自己責任  ということばについて。

 今の30代前半、あるいは20代より若い方々にとっては既存の日本語として認識されて来たかもしれませんが、この言葉、17-20年程度前に初めてお目見えした『造語』なのです。いまとなっては大昔となった『ペイオフ解禁』『金融商品の銀行店頭取扱開始』などなど、金融、ひいては経済界を大幅に自由化しようという政治の動きに伴って生じた言葉と記憶しています。

 ほとんどの場合、自由な選択の結果に対する責任に伴う重圧を表現するために使われますよね。自己責任、ときいて、「責任に伴う緊張感・重圧感」と「風通しがよくて、すっきりさわやか」のどちらがぴったり来ますか、といわれて・・・・・・後者を選ぶ人は何割になるでしょうか。

 8月に入ってから、「大学で研究するってどういうことか?」という話題で、高校生・学生さん世代の方々とお話をする機会が多く、で、この言葉を聞いたり使ったり、の機会が多かったのです。
 前にも書いたのですが、企業でも、公的研究機関でもなく、「大学で」研究をする、という生き方を選ぶっていうのは、私の中では、せんじ詰めればカネと安定よりも自由を優先する、ということです。
大学にはテーマ選択の自由がある(はず)。(そういう状況を自分で慎重に選び続ければ)、大学や学部の大枠からはずれないかぎり、学術的に意味が見出せるものであり、しかもその価値を他者に説明して納得してもらうことができれば、自分の興味をとことん追求できる。お給料はといえば、地味に堅実に生きていくぐらいのものはいただける。

 そのかわり、結果を出さなければなりません。
 自分で自由に決定し行動する代わりに成果が問われる。
 とくに、任期付ポジションで失敗したら、行き場所を失って自由落下というオマケつき。これぞ『自己責任』。

 まだ米国にいたころ、この『自己責任』ということばを英語に直したらどうなるのか、と考えたことがあります。
 自分で決定。自分で行動。両方ともその自由が保障されている。結果いかんは、当然本人に帰ってくる。
 とはいえ、当時は国民皆保険がなかったうえに、年金は401k=自分で投資して貯蓄する、となれば老後の資金は、つまり自分の投資能力にかかってくるというスタイルが一般的な米国では、自分で決めた結果が自分に帰ってくるって、あんまりにも当たり前で造語の必要もなさそう。

 自己責任、に英語を当てたら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Independence?

 考えてみれば、自分で決めて行動する自由が保障されているって、『独立』以外の何物でもない。で、独立していたら結果が自分に帰ってくるのは当たり前なのであって。
 逆に、自分で決められない、行動も制約がある、しかし責任は悪くすると追及されたりしちゃう、という生き方に較べれば、よほど風通しがよく、すっきりさわやか、ではなかろうか。

 先週の、「冒険野郎たちとの会合」の中で、「大学で独立ポジションを取って研究するっていうことは、自分ですべてを決められるっていうことで、それはすなわち、30代初めなんていうカタギの社会では考えられないような年齢で、自分のしたいことをしたいように追及して、結果次第では世界を変えられちゃうってことだ」と言った人がいました。

 私は、自分が世界を変えられるという発想はとても浮かんでこなかったのですが、しかし、自分のしたいことを自分がしたいように追及して、その結果を『直接』=上司だの会社・役所だのの決済をまつことなく、私自身が直に世に問う(国内外の研究者集団に問う、ということですが)ことができる、しくじったら、他の人に迷惑かけるわけじゃなし、自分にかかってくるだけ。そして、とーぜん、しくじらないという選択肢がちゃーんとあるわけで。

 あら、なんぞ、すっきりさわやかな気がしてきたりして・・・・・。
 
 
 

 
 
 

 
 

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