よく、若いときの苦労は買ってでもしろ、といいますね。
苦労、というのとは違うのかもしれませんが。
長らくの米国暮らしで、英語が『しゃべれない状態』を長らく味わったのは、今となっては実に『よかったこと』の一つだと思っています。
あれは、ホント、苦しかった。
私は、結局滞米中ずっと同じラボに属していたのですが、これが、なかなか荒っぽいラボで。
ま、私がいたDown State New Yorkという土地柄は、アメリカの中でも有数のお行儀が悪い土地ということにはなっております。
その御土地柄に影響を受けて、というよりは、そもそもいる人たちがアクがつよかった。困ったちゃんも多かった。ボスも、めんどくさがりの放任主義だった。
お陰様で、云わなきゃ分からない場面、伝えられなきゃ大変なことになる場面が多発する職場だった訳です。
また、学部生を長期実習生として受け入れて一緒に働くことが多かったのですが。初歩的な実験を教え、結果を見て話し合い、という、ごくフツーなコミュニケーションに始まり、間違って覚えていることを指摘して訂正する、だの、だだこねるのをなだめる、だの(笑)、いい加減なことをしているのを注意すると逆ギレする(極たまにいた)のに対処(対決?)する、だの。
もちろん、進路の相談だの、家庭内の問題だのについてじっくり聞いて…なんていうのもありました。
当然と云えば当然ですが、流暢にしゃべれれば、ラクなんだろうな。という場面が沢山。。
毎日新聞を読み、一日中電子辞書を持ち歩いて片っ端から辞書を引き、努めて毎晩テレビも見て、振り返ってみれば、結構頑張った。
でも、アメリカ人が殆どいないラボ環境、生きた口語、実際の会話で使う表現って、実は一番習得が難しかった…。
となると、手持ちの語彙でなんとかするしかありません。
手持ちの語彙を駆使して、要領よく云いたいことを伝えるしか無い。
シンプルな言葉を少なく使い、余計な疑問が生じて話が錯綜しないように、必要な情報を効率的に伝えるしかないわけです。
で、毎日毎日そういう必要性に追いまくられて『英語』がはなせるようになる…よりも先に身に付いたのは、『手短に説明する力』でした。
確かに、13年もあちらで暮らせば、英語は話しやすくはなります。
英語で会話する際に、『異国語で話す』ストレスに縛られるよりも、会話を楽しむという感覚が大きくなったのも確かです。
でも、私に限っては、長くいればいるほど、克服できない壁がど〜んと目の前に立ちはだかるのを感じました。所詮外国語。日本語と英語ってものすごく違うし。自分のセンスにも限りがある。
でも、というよりも、おかげで、説明能力は格段にあがったようです。そして、言葉少なく云いたいことを伝えることの重要性に、切実に思い至りました。
これは、会話だけでなく、文章を書くときも同じ。帰国してからは、むしろ文章を書くときに、『手短記述』能に助けられています。
『英語を話しやすくなったこと』よりも、『説明・記述能が向上したこと』は、英語というものに追いつめられ続けた13年の大きなご褒美だと思っています。
若いときのクローはしておくものです、ほんと。
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