「そもそも、私たち(=講師陣)は、なんでここ(=大学という研究の場)にいるの?」
最初にも書いたように、この授業(というか緩めの座談会)は、大学院修士1年生の学生さんに、「研究生活の楽しさや厳しさなど、公式な場で聞くのはむずかしいような話題も含めて腹を割って話し、アカデミックキャリアに対するイメージを持ってもらう」ために企画した、とのことでした。
で、授業前の、コーディネーターのM先生とのメール打ち合わせは以下の通り。ほとんど原文のまま、無断で公開。M先生、スミマセン(笑)。
私:(昨今の博士取得者の就職難などを目にするにつけ)やはり、学生さんたちには、
M先生:私たち(M先生と、『元刀鍛冶志望』先生です)も、最初はそう思っていました。しかし、アンケートの結果を見ると、実はほとんどの学生さんたちは、私達が思っている以上に現実的で過剰なまでにアカデミックキャリアに失望しています。実際、今回の受講生も(講義の前にアンケートを取りますが)、ほとんど博士課程に進む気はないと思います。
というわけで、私達がやる講義は、むしろアカデミックキャリアを厳しいながらもなぜ私達が選んでいるのかという、ロマンを吹くことになると思います。
とのことでした。
いいですね。本当だったらそういう『楽しさ』の話がしたいです、 やっぱり。
というわけで、講師陣が話すお題の中には、当然ながら、『この仕事についてよかったと思うことはなんですか?』という質問が盛り込まれておりました。
で、その講義の場で出た、皆さんのお答えは?
・・・・・・「裁量労働制で、働く時間に融通が利くので、共働きで子供が小さい時にはとてもよかったと思った」、「裁量労働制だから、平日に休みを取って子供の授業参観に出れたとき、よかったとおもった」。
・・・・・・う~~む。それは、この『立場』でよかったこと、ですね。
家族思いは素晴らしいことですが、韜晦趣味がある人たちがそろってしまったらしい。
うぉい、ロマンはどこに行った??
たとえば、顕微鏡をのぞいていて、「?!」というものがみえちゃったり。
数多くの測定をして得られた数字の羅列を統計処理をしてグラフにプロットしたら、実験処理による差が忽然と明確に現れたり。
実験をするたびに予想外の結果が出て、「・・・・・なんでかな?」と首をひねっていたら、あるとき「!」とその理由を見出してしまったり。
その前の試行錯誤が地味で時間がかかるものであるほど、「おっ!」と思う時のよろこびは大きく、それが楽しいから足が洗えなくなったから、こういう稼業にはまってしまったのですね、われわれは。
最初のM先生のセリフ、『ロマンを吹く』は、これだけ読むと足が地についていない人たちみたいですが、実際のところ、小さな発見の積み重ね、地味な試行錯誤の積み重ねが、『生命』だの、『自然』だのといった、大きな図を読み解くパズルの一ピースになることに、面白さと意義深さと・・・・それこそ、『ロマン』を見出しちゃったんですよね。そして、そういう謎解きを心ゆくまで続けようと思ったら、やはり一番向いているのは大学。テーマ選択の自由は、手放せないわけです。
というわけで、あんまり高くないお給料でも、休日も半分以上は仕事につぎ込むことになっても、あるいは身分が不安定な時期が長くても、やっぱりやめられない研究生活@大学、となっちゃったわけです。
と、本当はあの場で披露されるはずの『隠された共通見解』を勝手に暴露させていただきました。実は、これが一番重要だったりして・・・・。
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ところで。このシリーズの(1)を読み直してみたら、「この講義がそもそもどのような目的で行われたか」、という、肝心要の部分が抜けていることに気が付いて、赤面いたしました。というわけで、導入部分を書き足しました。いつも読んでくださる皆様、失礼いたしました!今後ともよろしくお願いいたします。
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