私は、アメリカのニューヨーク州ロングアイランドというところに張り付いて13年近く下働き研究員=ポスドクをしていたのですが、当然ながらこの間、アメリカならでは、な経験をいろいろさせていただきました。びっくりすることたくさん、たぶん嫌なことも多々あった(と思う)のですが、『おかげでいいことに気が付かせてもらった』と思い返せることがとても多いように思います。
ならば、研究がらみの『出羽守』バナシをぽつぽつ書いてみようか、というわけで第一話。
研究費がなくちゃ、試薬買えない。機器買えない。実験できない。
このぐらいは、日本にいて学生している時でもおぼろげには理解してはいました。
でも、米国の研究者の、『研究費獲り』に関する目の色の変え方は、かなり衝撃的でした。
それというのも、米国の大学・・・・私立・公立の別なく・・・・での研究者の、プロとしてだけでなく私生活のレベルをも決めてしまうのは、研究費が取れるか否か、にかかっているといって過言ではないから、なんです。
というわけで、阿漕なのかなんなのか、米国アカデミアにおける『カネ』というわかりやすすぎる『標準単位』についてのお話です。
米国の研究費からそのコストがカバーされるものを上げていくと、以下のようになります。
試薬消耗品、理化学機器、旅費、通信費、出版費用、技術補佐員、あるいは研究員人件費
・・・・・・ここまでは、日本の研究費でもカバーされていますが、違いはこれ以降。
大学院生人件費・学費、そして、教官(米国式で言えばPrincipal Investivator, PI)の『夏季給与』。
最近、日本でも、大学院生が研究室で研究をする時間にResearch Assistant=RAと認識して人件費を支払う、という動きがありますが、アメリカではこれが定着しており、指導教官は大学院生人件費にくわえて大学に大学院生の学費を研究費から支払っています(例外もいますが、私がいた州立大学の某学部では、払われていない学生さんは10%未満でした)。この額は、州立大学の場合でだいたい年に300万円相当ぐらいだと思います。つまり、大学院生が研究室にいれば、一人当たり300万円の費用は絶対に必要、なわけです。
大学によっては、学費が高すぎて、学生さんを『雇う』よりもポスドク=博士号をもった研究員を雇った方が安い、ということがあり得ます。ポスドクは人件費部分は少々高くても、学費部分がゼロなためです。とはいえ、大学=教育機関、学生さんに教育の場を提供するための機関です。当然ながら、大学に教官として着任してから、自分の指導の下に何人の大学院生が学位をとったか、という点は、大学教官としての能力の査定の重要な一項目。Assistant Professor(日本で言う助教)で着任して、Associate(準教授), Full Professor(教授)と昇格していくためには、この項目で一定以上の能力を示すことが必要不可欠です。つまり、大学教官としての責務に忠実に、よき教育者でいようとすると、結局は研究費が要る。研究の進展のためにも、ラボには大学院生が常に何名かいてくれるほうが、いいに決まっています。というわけで、研究費を取ってくる甲斐性がなければ、研究の進展とともに自身の教育者としての身分が危うくなるのです。
と、ここまででも、『シビア・・・・』という感じですが、もっとシビアなのは、PI自身の『夏季給与』。
私が知っている限りでは、現在すべての米国の公立大学で、教官は「9か月分」の給料を払われています。米国の場合、大学というところは、2ヶ月程度の夏季休暇があり、春も冬も10日から2週間ぐらいの休みがあります。つまり、考えてみればProfessorたちが大学で教官として働いているのは9ヶ月程度。
・・・・・というわけで、大学は教官の年収の75%を出してくれます。あとの25%は、自分の研究費から補填するわけです。(ほとんどの大学では夏季の集中講義がありますが、これを教えればその分のお給料は時給でもらえます。着任したばかりの若い教官が、こういう授業を持つのはよくあります。ただし、これでは年間給与の25%にははるかに届きません。実際に教室にいる時間に対する時給ですからね。授業をするには、当然その準備が必要。初めて授業を教える教官だと、準備にかかる時間まで計算に入れると、時給換算ではファーストフードチェーンでアルバイトする高校生よりも安いかも。)
つまり、研究費が取れなければ自分の年収が一気に25%減ることになります。
米国と日本の公的研究費の支給額は、一般的なもので5倍から10倍ぐらいまでは軽く違うのですが、その大きな理由のひとつに、これら日本では計算に入ってこないタイプの人件費が上げられます。逆に言えば、アメリカでは、伝統的に上記のような人件費が組み込まれているので、応募申請にさえ通れば大きい額の研究費がおりやすい。やれやれ、タスカッタ。
・・・・・・でも、その一方の競争率。
分野にもよりますが、私がいたころの米国では、公的研究資金の競争率は4倍から12倍程度だったと思います。少なくとも4分の3の申請者は夏季給与ナシの危険にさらされるわけです(とはいえ、どの人も複数の研究費に応募するので、あまりこういう実例は聞きませんでした。というよりも、生活を守るために皆が取れるまで必死に応募し続けるから、現実としてあぶれる実例はすくない、ということでしょうね。)
研究費の申請書のページ数は、ほぼA4サイズの用紙に、現在は16ページまでかな?長いんです(日本の科研費は、個人で出す場合は5ページまで)。応募のチャンスは、ありがたいことに(?)年に数回。・・・・・これを専業で書くのだって結構大変。で、これを書き続けながら一方では、研究を進め(大学院生の指導をし、論文を書くあるいは推敲し、実験室で問題が起こればトラブルシューティングし、うんぬん)研究室を経営するための書類作成などの雑務もあるし、大学にかかわる業務も入り、授業だの実習だのも教え、学会にも出たいし、自分の読み物をする時間も必要だし・・・・・・。
で、一方では給料の4分の1が削られる危険には常にさらされている・・・・・。
そんな人生、楽しいわけ?
・・・・・・・・楽しいんだと思います。
そして、米国でのこの人生には、実は『カネがらみのご褒美』が存在します。そう、この話、まだ半分しか終わっておりません。
というわけで、続きはまた来週。
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米国にいる間に、研究という仕事について、いつのまにか刷り込まれたことはたくさんありますが、その筆頭として私の頭に浮かぶのは、「研究費を取ってくる重要性」についての認識です。研究費がなくちゃ、試薬買えない。機器買えない。実験できない。
このぐらいは、日本にいて学生している時でもおぼろげには理解してはいました。
でも、米国の研究者の、『研究費獲り』に関する目の色の変え方は、かなり衝撃的でした。
それというのも、米国の大学・・・・私立・公立の別なく・・・・での研究者の、プロとしてだけでなく私生活のレベルをも決めてしまうのは、研究費が取れるか否か、にかかっているといって過言ではないから、なんです。
というわけで、阿漕なのかなんなのか、米国アカデミアにおける『カネ』というわかりやすすぎる『標準単位』についてのお話です。
米国の研究費からそのコストがカバーされるものを上げていくと、以下のようになります。
試薬消耗品、理化学機器、旅費、通信費、出版費用、技術補佐員、あるいは研究員人件費
・・・・・・ここまでは、日本の研究費でもカバーされていますが、違いはこれ以降。
大学院生人件費・学費、そして、教官(米国式で言えばPrincipal Investivator, PI)の『夏季給与』。
最近、日本でも、大学院生が研究室で研究をする時間にResearch Assistant=RAと認識して人件費を支払う、という動きがありますが、アメリカではこれが定着しており、指導教官は大学院生人件費にくわえて大学に大学院生の学費を研究費から支払っています(例外もいますが、私がいた州立大学の某学部では、払われていない学生さんは10%未満でした)。この額は、州立大学の場合でだいたい年に300万円相当ぐらいだと思います。つまり、大学院生が研究室にいれば、一人当たり300万円の費用は絶対に必要、なわけです。
大学によっては、学費が高すぎて、学生さんを『雇う』よりもポスドク=博士号をもった研究員を雇った方が安い、ということがあり得ます。ポスドクは人件費部分は少々高くても、学費部分がゼロなためです。とはいえ、大学=教育機関、学生さんに教育の場を提供するための機関です。当然ながら、大学に教官として着任してから、自分の指導の下に何人の大学院生が学位をとったか、という点は、大学教官としての能力の査定の重要な一項目。Assistant Professor(日本で言う助教)で着任して、Associate(準教授), Full Professor(教授)と昇格していくためには、この項目で一定以上の能力を示すことが必要不可欠です。つまり、大学教官としての責務に忠実に、よき教育者でいようとすると、結局は研究費が要る。研究の進展のためにも、ラボには大学院生が常に何名かいてくれるほうが、いいに決まっています。というわけで、研究費を取ってくる甲斐性がなければ、研究の進展とともに自身の教育者としての身分が危うくなるのです。
と、ここまででも、『シビア・・・・』という感じですが、もっとシビアなのは、PI自身の『夏季給与』。
私が知っている限りでは、現在すべての米国の公立大学で、教官は「9か月分」の給料を払われています。米国の場合、大学というところは、2ヶ月程度の夏季休暇があり、春も冬も10日から2週間ぐらいの休みがあります。つまり、考えてみればProfessorたちが大学で教官として働いているのは9ヶ月程度。
・・・・・というわけで、大学は教官の年収の75%を出してくれます。あとの25%は、自分の研究費から補填するわけです。(ほとんどの大学では夏季の集中講義がありますが、これを教えればその分のお給料は時給でもらえます。着任したばかりの若い教官が、こういう授業を持つのはよくあります。ただし、これでは年間給与の25%にははるかに届きません。実際に教室にいる時間に対する時給ですからね。授業をするには、当然その準備が必要。初めて授業を教える教官だと、準備にかかる時間まで計算に入れると、時給換算ではファーストフードチェーンでアルバイトする高校生よりも安いかも。)
つまり、研究費が取れなければ自分の年収が一気に25%減ることになります。
米国と日本の公的研究費の支給額は、一般的なもので5倍から10倍ぐらいまでは軽く違うのですが、その大きな理由のひとつに、これら日本では計算に入ってこないタイプの人件費が上げられます。逆に言えば、アメリカでは、伝統的に上記のような人件費が組み込まれているので、応募申請にさえ通れば大きい額の研究費がおりやすい。やれやれ、タスカッタ。
・・・・・・でも、その一方の競争率。
分野にもよりますが、私がいたころの米国では、公的研究資金の競争率は4倍から12倍程度だったと思います。少なくとも4分の3の申請者は夏季給与ナシの危険にさらされるわけです(とはいえ、どの人も複数の研究費に応募するので、あまりこういう実例は聞きませんでした。というよりも、生活を守るために皆が取れるまで必死に応募し続けるから、現実としてあぶれる実例はすくない、ということでしょうね。)
研究費の申請書のページ数は、ほぼA4サイズの用紙に、現在は16ページまでかな?長いんです(日本の科研費は、個人で出す場合は5ページまで)。応募のチャンスは、ありがたいことに(?)年に数回。・・・・・これを専業で書くのだって結構大変。で、これを書き続けながら一方では、研究を進め(大学院生の指導をし、論文を書くあるいは推敲し、実験室で問題が起こればトラブルシューティングし、うんぬん)研究室を経営するための書類作成などの雑務もあるし、大学にかかわる業務も入り、授業だの実習だのも教え、学会にも出たいし、自分の読み物をする時間も必要だし・・・・・・。
で、一方では給料の4分の1が削られる危険には常にさらされている・・・・・。
そんな人生、楽しいわけ?
・・・・・・・・楽しいんだと思います。
そして、米国でのこの人生には、実は『カネがらみのご褒美』が存在します。そう、この話、まだ半分しか終わっておりません。
というわけで、続きはまた来週。
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